京都府の導水路・疏水施設一覧

当サイトに掲載している京都府の導水路・疏水施設6件を、地図・施設名・市区町村別に整理しています。各施設の役割、設備、沿革、能力、見学条件を、個別記事と同じ詳細情報・出典で確認できます。

地域内の全施設を網羅する一覧ではありません。関連設備や廃止施設を含む場合があり、件数は掲載記事の数です。

この施設種別の掲載範囲:水源から浄水場などへ水を運ぶ導水路、疏水、隧道、接合井、水路橋などの施設。

掲載範囲と施設の内訳

掲載記事
6件
市区町村の掲載区分
3地域
参照先URL(重複除く)
44件

掲載種別は水路橋1件、疏水施設5件です。施設の目的や能力は一律ではないため、以下の比較表と施設別の詳細を合わせて確認してください。

能力は設計値・実績値・貯留量など資料ごとに意味と年度が異なります。単位と注記を残して掲載しており、この一覧で単純な合計や規模の順位付けはしていません。

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掲載6件のうち登録座標のある0件を位置図に表示します。 座標未登録の6件も、施設を選ぶと公開住所による検索地図で確認できます。検索結果は施設の正確な位置を保証するものではありません。

南禅寺水路閣

京都府京都市左京区南禅寺福地町

所在地マップ

京都府京都市左京区南禅寺福地町

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京都府の導水路・疏水施設一覧の施設名・市区町村・施設種別・能力・現況
施設名市区町村施設種別能力・容量(掲載値)掲載上の現況
1. 南禅寺水路閣京都市左京区水路橋個別記事の確認資料を参照文化財指定
2. 山科疏水京都市山科区疏水施設山科疏水の区間長約4km。区間単独の設計導水量・現行流量は今回の公式資料では不詳現存
3. 琵琶湖疏水 疏水分線京都市左京区疏水施設建設当初の延長約8.4km/所管替え後約3.3km(京都市2025年公開の疏水史)。通水能力ではない現存
4. 鴨川運河京都市疏水施設全長約9km(鴨東運河の鴨川合流点~伏見区堀詰町)。設計流量と現行流量の施設単独値は不詳現存
5. 琵琶湖疏水 第2トンネル入口京都市山科区疏水施設第2トンネル延長125.3m(文化庁指定記録)。京都市の一般案内では約124m。入口単独の流量は不詳文化財指定
6. 琵琶湖疏水 第3トンネル出口京都市山科区疏水施設第三隧道延長851.5m(文化庁記録)。京都市の一般案内は850m・約852m。出口単独の導水量は不詳文化財指定

京都市の施設・詳細情報

鴨川運河

1894年完成、鴨川沿いから伏見へ約9kmを結ぶ第1琵琶湖疏水の運河区間

第1琵琶湖疏水のうち、鴨東運河の鴨川合流点から京都市伏見区堀詰町へ至る約9kmの運河区間。1892年に着工し1894年に完成、琵琶湖から京都・伏見を経て大阪方面へつながる舟運に役立った。現在も水路として維持され、1988年の改築による暗渠区間と旧閘門・橋梁の歴史を残す。

所在地
京都府京都市左京区の鴨川合流点付近~伏見区堀詰町(線状施設。単一の所在地番なし)
施設種別・現況
疏水施設・現存
年代・供用状況
1890年6月起工許可、1892年11月着工、1894年9月完成(第1疏水の大津~鴨川間完成は1890年)
構造・形式
第1疏水の約9kmの運河区間。開水路・暗渠・橋梁・旧閘門・伏見インクライン関連設備などを含む歴史的な水運路
能力・規模
全長約9km(鴨東運河の鴨川合流点~伏見区堀詰町)。設計流量と現行流量の施設単独値は不詳
見学・公開条件
京都市の公式散策案内にある公共の歩道から水路沿いを歩けるが、運河内部・柵内への立入、釣り、遊泳、無許可の乗艇は禁止。全区間連続通行を保証しない
役割・設備・沿革・見学・FAQを詳しく読む

鴨東運河の鴨川合流点から伏見へ

鴨川運河は、第1琵琶湖疏水のうち鴨東運河が鴨川へ合流する地点から京都市伏見区堀詰町までの、約9kmの運河区間です。京都市の疏水沿線公式案内は、琵琶湖から大阪へ通じる舟運を実現するため、疏水を淀川水系へ接続する重要な区間だったと説明しています。大津~蹴上~鴨川の上流区間、伏見側で続く濠川、沿線の散策路を鴨川運河の9kmと混同しません。[1][6]

1890年の第1疏水完成から1894年の運河延伸へ

京都市の公式年表では、鴨川運河は1890(明治23)年6月に起工許可を受け、1892(明治25)年11月着工、1894(明治27)年9月に完成しました。上流側の第1疏水が1890年に完成した後の延伸事業です。第1疏水の1890年完成を鴨川運河自身の竣工年として書き換えません。京都市の疏水史は鴨川合流点から伏見への工事の完成月を1894年9月としています。[2][3]

舟運を支えた橋・閘門と伏見インクライン

運河の高低差が舟の往来を妨げないよう、京都市琵琶湖疏水記念館の歴史写真解説では水位を調節する閘門が8箇所設置されたと記録されています。記念館が公開する1912年頃の「鴨川運河平面図」には、伏見付近の水路と伏見インクラインの線路が描かれています。[7]この8箇所は建設・運用当時の歴史的設置数で、2026年に稼働する閘門の数ではありません。伏見側には1895(明治28)年完成の伏見インクラインもあり、水車を動力として高低差のある区間で舟を運びました。一般運行は1943年に中止、線路は1960年に撤去されたと京都市記念館は説明しています。[4][5]

冷泉通から塩小路・深草・伏見へ続く水路

京都市記念館によれば、冷泉通と川端通の交差点付近から始まる鴨川運河は三条通付近で暗渠となり、塩小路橋から再び開水路として姿を現します。沿線には市電稲荷停留所跡、星形の紋章を残す橋、伏見インクライン跡、伏見新放水路などがあります。伏見区上堀詰町付近で鴨川運河の区間は終わり、その先は伏見城外堀に由来する濠川へ続きます。これらの橋・施設を鴨川運河の全長に個別に加算しません。[1][4][6]

1914年の墨染発電所と水利用

伏見地区では1914(大正3)年に伏見発電所(現在の墨染発電所)が完成し、京都市記念館は現役の水力発電施設と案内しています。鴨川運河と隣接する発電・水運関連施設の一つですが、発電所の設備能力を運河自身の能力欄に代入しません。京都市は琵琶湖疏水全体が現在も水道、水力発電、かんがい、防火用水などに使われると説明していますが、運河区間固有の現行分水量・毎秒流量は確認できません。[4][9]

1931年の閘門と1978~1988年の改築

京都市の年表には1931年4月の伏見閘門完成、1978年2月の冷泉~塩小路間改築着工、1979年10月の塩小路下流改修着工、1988年3月の下流改修完了と同年4月の改築疏水通水開始が記録されています。京都市記念館は京阪本線地下化などに伴う1988年の暗渠化を説明し、暗渠内の西側に船曳ロープが設けられていると記します。新しい暗渠を1894年当初のままの構造とみなしません。[3][4][8]

現在の維持管理と水質の扱い

京都市は2026年の公式案内で、琵琶湖疏水を現役の都市基盤施設として維持管理・更新すると説明しています。また2025年12月には第1疏水の大津~伏見区堀詰町約20kmを対象に、2026年1~3月の冬期停水・浚渫予定を公表しました。これは当時の計画であり、運河区間の施工完了や恒常的な停水状態を示しません。市は水道水源を第2疏水から年間を通して取水すると明記しており、現在の水道水質検査値を鴨川運河そのものの実測値として掲載しません。[8][9][10]

運河沿いを歩く際の公開範囲と安全

京都市記念館は伏見地区の散策案内を公開し、塩小路橋から伏見インクライン跡・鋳物屋橋などの見どころを紹介しています。ただし、約9kmの運河と散策コースは別の経路で、暗渠・管理区域もあるため全線が連続した一般通行路ではありません。京都市は2026年6月の案内で、柵内への立入、遊泳、釣り、カヌー・SUP等の無許可乗艇を禁止しています。外観の見学と運河内の利用を区別してください。[1][4][9]

Deep research

京都市上下水道局の年表・疏水史、京都市琵琶湖疏水記念館の歴史写真と散策案内で、1894年の運河延伸と1988年の改築を分けて確認しました。約9kmの水路区間、第1疏水約20km、散策路を別の定義として扱います。

最終確認:2026-11-04

施設データを詳しく見る

起工許可
1890年6月

京都市の疏水年表

着工
1892年11月

大津~鴨川の第1疏水完成とは別の延伸工事

完成
1894年9月

鴨川運河の完成月

水路区間
約9km

鴨東運河の鴨川合流点~伏見区堀詰町。散策距離ではない

上流との関係
第1疏水の一部

1890年完成の上流区間からつながる

歴史的閘門
8箇所

京都市記念館の歴史写真解説による設置数。現行稼働数ではない

伏見インクライン完成
1895年

運河関連施設の個別完成年

墨染発電所完成
1914年

旧伏見発電所。運河自身の設備能力ではない

冷泉~塩小路改築通水
1988年4月

京阪地下化に伴う改築区間の通水

独立した現行導水流量
公式公開資料では確認できない

第1疏水全体の水量を転記しない

第1疏水から鴨川運河、濠川へ

  1. 1
    琵琶湖から第1疏水に取水

    琵琶湖を起点とする第1疏水を通り、京都方面へ運ばれる。

  2. 2
    大津・山科を経て蹴上へ

    第1疏水の上流区間を通過。山科疏水は鴨川運河より上流の別区間。

  3. 3
    蹴上・岡崎から鴨東運河へ

    水が京都市街地の鴨川方面に進み、鴨東運河の鴨川合流点で鴨川運河区間につながる。

  4. 4
    三条通付近の暗渠を通過

    京都市の記念館案内によれば、改築された暗渠を経て塩小路橋付近で開水路に戻る。

  5. 5
    深草・伏見の水路を南下

    橋や旧閘門、伏見インクライン跡、墨染発電所の関連施設が沿線に点在する。

  6. 6
    伏見区堀詰町から濠川へ

    鴨川運河区間は上堀詰町付近で終わり、伏見城外堀に由来する濠川へ水路が続く。

鴨川運河の建設・舟運・改築年表

  1. 鴨川運河の起工許可

    第1疏水の上流側竣工後、伏見方面への延伸に着手する準備が進む。

  2. 鴨川運河着工

    京都市公式年表に着工月を記録。

  3. 鴨川運河完成

    鴨川合流点から伏見へつながる運河区間が完成。

  4. 伏見インクライン完成

    舟を高低差のある区間で運ぶ関連施設。

  5. 伏見付近の平面図が残る

    京都市記念館の田邉家資料として鴨川運河平面図を所蔵。図面の日付は建設年ではない。

  6. 伏見発電所が完成

    現在の墨染発電所。1914年は発電所の完成年。

  7. 伏見閘門が完成

    京都市の疏水年表の記録。歴史的8閘門の全てが1931年完成という意味ではない。

  8. 伏見インクライン一般運行中止

    運河自体の全区間廃止ではない。

  9. 冷泉~塩小路間改築着工

    京都市公式年表による。

  10. 塩小路下流改修着工

    下流側の別工区の着手記録。

  11. 下流改修完了・改築疏水通水

    3月に塩小路下流改修完了、4月に冷泉~塩小路間改築疏水の通水。

  12. 京都市が疏水の立入制限を周知

    現役都市基盤の管理と水路内立入・無許可乗艇の禁止を案内。

見学・アクセス情報

京都市の「伏見さんぽ」等で案内される歩道から見学できます。運河全長は一つの歩道ではなく、暗渠や管理区域を含むため水路内には入れません。

施設の範囲
鴨川合流点付近~京都市伏見区堀詰町、約9km
散策
塩小路橋・墨染・伏見インクライン跡など公式案内の一般通行部から
立入禁止
水路内部・柵内・閉鎖管理区域
禁止行為
釣り・遊泳・許可のないカヌー・SUP等の乗艇
管理者の案内
京都市上下水道局の現行利用制限・工事情報を確認

見学目的でも門・柵・管理区域を越えず、管理者が案内する公開条件と指定経路に従ってください。

水道水源・水質の扱い

鴨川運河は疏水の一部であって浄水処理施設ではありません。京都市は第2疏水から通年水道原水を取水すると公表しています。水道水や琵琶湖南湖の検査結果を鴨川運河の独立した水質値とみなさず、施設固有の現行流量も不詳とします。[9][10]

よくある質問

鴨川運河はどこからどこまでですか?

第1疏水の鴨東運河の鴨川合流点から伏見区堀詰町まで、約9kmの区間です。

いつ完成しましたか?

1892年11月に着工、1894年9月に完成しました。1890年は上流側第1疏水の完成時期です。

鴨川運河の長さは何kmですか?

日本遺産・琵琶湖疏水の公式案内では約9kmです。第1疏水全体や散策コースの距離とは異なります。

舟はどうやって高低差を越えましたか?

歴史的には水位を調節する8箇所の閘門や、伏見インクラインなどを利用しました。現在の運航設備数を示すものではありません。

伏見インクラインは今も動いていますか?

いいえ。一般運行は1943年に中止され、京都市記念館は1960年に線路が撤去されたと説明しています。

途中で水路が見えなくなるのはなぜですか?

京阪本線の地下化等に伴う1988年の改築で三条通付近が暗渠になり、塩小路橋付近で再び開水路になります。

南側の終点より先も鴨川運河ですか?

京都市記念館によれば伏見区上堀詰町の先は伏見城外堀に由来する濠川です。

鴨川運河は国宝に指定されていますか?

琵琶湖疏水の個別関連施設には文化財指定がありますが、約9kmの鴨川運河全体が国宝指定されたという公式根拠は確認できません。

運河沿いを散歩できますか?

京都市記念館は公開された伏見散策コースを案内しています。ただし暗渠・管理区域があり、約9km全線の歩行を保証するものではありません。

運河で釣りやカヌーはできますか?

いいえ。京都市は2026年6月に釣り・遊泳・許可のない乗艇と柵内立入の禁止を周知しています。

出典・参考資料

個別記事の最終確認:2026-11-04。資料中の年度・基準時点は詳細欄に記載しています。

  1. 日本遺産・琵琶湖疏水「鴨川運河」(鴨東運河合流点~伏見区堀詰町、全長約9km、舟運の役割) ↗
  2. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水の歴史(2)」(1892年11月着工、1894年9月完成の本線延伸) ↗
  3. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水のご紹介・年表」(1890年の起工許可、1894年完成、1978~1988年改築) ↗
  4. 京都市琵琶湖疏水記念館「疏水さんぽ・伏見さんぽ」(暗渠・船曳ロープ・橋の紋章・伏見インクライン・墨染発電所) ↗
  5. 京都市琵琶湖疏水記念館「鴨川運河 孫橋閘門」(舟の水位差を調整する閘門8箇所の歴史資料) ↗
  6. 京都市琵琶湖疏水記念館「鴨川運河終点 伏見区上堀詰町」(濠川との境界) ↗
  7. 京都市琵琶湖疏水記念館「鴨川運河平面図」(1912年頃の伏見付近の歴史図面) ↗
  8. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水の歴史(5)」(伏見地区改修・京阪地下化と流量監視の広域化) ↗
  9. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水を大切に守りましょう」(2026年6月時点の水路安全・立入禁止) ↗
  10. 京都市上下水道局「第1疏水の停水・土砂浚渫」(2025年12月公表の2026年冬期予定・水道水源の区分) ↗

京都市左京区の施設・詳細情報

南禅寺水路閣

1888年完成、南禅寺境内に疏水分線を通す煉瓦造14連アーチの国宝水路橋

京都市左京区南禅寺境内に立つ1888年完成の煉瓦造水路橋。蹴上で第1疏水から分かれる疏水分線の水を運び、近代土木と寺院景観をつないだ。橋長93.2m、文化庁の国宝指定記録では14連アーチ。2025年8月27日に国宝指定され、現在も水路として機能する。

所在地
京都府京都市左京区南禅寺福地町
施設種別・現況
水路橋・文化財指定
年代・供用状況
1888年(明治21年)完成。国宝指定は2025年8月27日
構造・形式
煉瓦造14連アーチ水路橋、橋長93.2m。京都市疏水記念館の案内では幅約4m・高さ約9m
高さ
約9m(京都市琵琶湖疏水記念館の案内値)
文化財等
国宝「琵琶湖疏水施設 南禅寺水路閣」(2025年8月27日)。第1疏水関連施設として国史跡指定(1996年)
見学・公開条件
南禅寺境内の観光スポットとして外観を見られる。ただし水路上や管理施設への立入が認められる意味ではない。現地の寺院・管理者の案内と立入規制を確認すること。
役割・設備・沿革・見学・FAQを詳しく読む

南禅寺の境内を横切る現役の水路橋

南禅寺水路閣は、京都市左京区南禅寺福地町にある琵琶湖疏水の水路橋です。琵琶湖から京都市街地へ水を引く第1疏水から、蹴上付近で分岐する「疏水分線」を通すために建設されました。橋は寺院境内の上を横切って水を運ぶ設備であり、単独の浄水場・配水池ではありません。京都市の管理計画は、水路閣が完成後も現役の導水施設として分線の水を運んでいると説明しています。[2][3][4]

1888年完成。近代土木と寺院景観の両立

京都市の管理計画によれば、水路閣は1888(明治21)年に完成しました。建設当時の疏水分線は、主にかんがい用水と防火用水のための水路でした。南禅寺の周辺には寺社が多く、京都市は環境を損なわないよう意匠に配慮して建設したことを説明しています。田辺朔郎が残した完成図には「南禅寺桟橋」という表記があり、後に「水路閣」と呼ばれるようになったと管理計画は記しています。[3][4]

橋長93.2m、煉瓦造14連アーチ

文化庁の国指定文化財等データベースは、指定建造物の構造を「煉瓦造一四連アーチ橋、橋長93.2m」としています。京都市琵琶湖疏水記念館の散策案内では高さ約9m、同館写真アーカイブでは幅約4mと説明されています。これは水路閣自体の寸法で、疏水分線全体の延長や疏水の流量ではありません。施設固有の毎秒導水量は今回の資料から確認できず、数値を補いません。[1][6][7]

アーチ数の表現には公的資料間の差があります。文化庁の2025年指定記録は「14連アーチ」、京都市琵琶湖疏水記念館の写真アーカイブは「13橋12連の連続アーチ橋」と記載しています。数え方や定義の差は確認できていないため、本記事の基本構造欄では最新の国宝指定記録を採用し、別資料の記述もここに残します。[1][6][8]

琵琶湖から蹴上へ、分線が東山の水を支える

第1疏水の水は琵琶湖から大津・山科を経て京都側へ運ばれ、蹴上で分岐した疏水分線は南禅寺付近を通過して東山の山裾を北上します。分線は当初、水力利用・かんがい・防火などを目的とし、後年は東山の庭園群の修景用水や哲学の道の環境を維持する水としても利用されてきました。水路閣を流れる水が直接家庭の蛇口へ配水される、あるいは橋の内部で浄水処理されるといった説明はしません。[3][4][9]

1983年、1996年、2025年の文化財保護

1983(昭和58)年に京都市の文化財に指定され、1996(平成8)年にはインクラインなどとともに第1疏水関連施設として国の史跡になりました。さらに2025年5月16日の文化審議会答申を経て、文化庁の最新データベースでは2025年8月27日付で「琵琶湖疏水施設 南禅寺水路閣」が国宝に指定されたと確認できます。答申日を指定日と混同しません。[1][2][5][8]

ひび割れ調査と景観を守る維持管理

京都市は2008年7月に水路閣西側橋脚部のひび割れを確認し、詳細調査を実施しました。2009年1月から学識経験者による検討委員会で調査・管理方針を検討。公開された管理計画には、ひび割れや漏水の点検、周辺地盤の動態観測、樹木の根による影響の確認、景観を保つための剪定などが整理されています。管理計画に記された点検頻度を2026年現在の実施実績とみなさず、個別の補修完了も推測しません。[3]

外観の見学と立入範囲

水路閣は京都市の公式観光・疏水紹介で南禅寺境内の名所として案内されています。見学者が確認できるのは周囲の公開された場所から見上げる煉瓦のアーチと景観です。橋上の水路や管理箇所を自由に歩けることを意味しません。寺院の行事・工事・保全上の規制などによって通行条件が変わる可能性があるため、来訪前には管理者・寺院の最新案内を確認してください。[4][7][9]

Deep research

近代京都の都市基盤である琵琶湖疏水の分線を南禅寺境内に通した煉瓦造の水路橋。寸法、当初目的、指定年月日と維持管理の確認範囲を分けて示します。

最終確認:2026-11-04

施設データを詳しく見る

建設年
1888年(明治21年)

水路閣単体の完成年

構造
煉瓦造14連アーチ

文化庁の2025年国宝指定記録。京都市記念館アーカイブとは連数表記に差がある

橋長
93.2m

文化庁指定記録

幅
約4m

京都市記念館写真アーカイブの案内値

高さ
約9m

京都市記念館散策案内の値

所在地
京都市左京区南禅寺福地町
所有者
京都市

文化庁の指定記録

国の史跡
1996年指定

第1疏水関連施設として

国宝
2025年8月27日指定

2025年5月16日は文化審議会の答申日

施設固有の導水能力
公式公開資料では確認できない

疏水全体の値を代用しない

水の流れ:琵琶湖から疏水分線へ

  1. 1
    琵琶湖から取水

    第1疏水は琵琶湖を水源として京都へ水を送る。水路閣自体は取水施設ではない。

  2. 2
    大津・山科を経由

    第1疏水は大津側から山科を経由して京都東部の蹴上方面へ至る。

  3. 3
    蹴上で分線へ分岐

    第1疏水から北上する疏水分線に水が分かれる。水路閣はこの枝線の一部。

  4. 4
    南禅寺水路閣を通過

    寺院境内を横断する煉瓦造の水路橋で分線の水を運ぶ。橋上は一般の自由通行経路ではない。

  5. 5
    東山の山裾を北上

    疏水分線は若王子方面から高野・下鴨方面へ流れ、沿線で利用される。

  6. 6
    庭園・修景・防火等に利用

    分線の役割は時代で変わる。2012年の管理計画は庭園の修景用水や哲学の道の維持用水を説明している。

南禅寺水路閣の沿革と保全

  1. 疏水分線の水路閣が完成

    当初は主にかんがい用水や防火用水を渡す水路橋として建設。

  2. 京都市の文化財に指定

    京都市上下水道局の琵琶湖疏水年表に記録。

  3. 国の史跡に指定

    インクラインなどを含む第1疏水関連施設として保護。

  4. 西側橋脚部のひび割れを確認

    京都市が詳細調査を開始。発見時点とその後の補修完了を混同しない。

  5. 改修調査検討委員会を設置

    1月に学識経験者6名による検討委員会を設置し、維持管理方針を検討。

  6. 検討委員会の報告書を提出

    7月に調査所見と今後の対応策に関する提言が提出された。

  7. 京都市が管理計画を策定

    3月の管理計画にひび割れの監視、周辺地盤調査、樹木管理などの方針をまとめた。

  8. 文化審議会が国宝指定を答申

    指定の答申であって、この日付は国宝の指定日ではない。

  9. 国宝に指定

    文化庁データベースに2025年8月27日指定と明記。

見学・アクセス情報

公式案内は南禅寺境内の水路閣を観光の見どころとして紹介。管理する水路内部の立入や公開時間を保証するものではありません。

所在地
京都府京都市左京区南禅寺福地町
外観
南禅寺境内の観光案内に掲載
水路上・管理設備
一般自由立入の公式確認なし
見学前の確認
南禅寺および京都市の最新案内を確認

見学目的でも門・柵・管理区域を越えず、管理者が案内する公開条件と指定経路に従ってください。

文化財と水質について

水路閣は国宝指定を受けた現役の水路橋。ここで浄水・配水処理を行う施設ではないため、京都市水道の現在の水質検査値を水路閣の水質値として帰属させません。

よくある質問

南禅寺水路閣は何のために造られましたか?

疏水分線の水を南禅寺境内の上に通すための水路橋です。建設当時はかんがい・防火用水などに使われました。

いつ完成しましたか?

京都市の管理計画と文化庁の指定資料はいずれも1888(明治21)年としています。

長さと高さはどのくらいですか?

文化庁による橋長は93.2m、京都市記念館の散策案内による高さは約9mです。

アーチは何連ですか?

文化庁の国宝指定記録は14連、京都市の写真アーカイブは13橋12連と表現します。差の理由を確認できないため併記しています。

国宝になったのはいつですか?

文化審議会が2025年5月16日に答申し、国宝指定日は文化庁記録で2025年8月27日です。

現在も水が流れていますか?

京都市の管理計画は水路閣を現役の導水施設と説明し、京都市は琵琶湖疏水を現在も活用される都市基盤として案内しています。

橋の上を歩けますか?

外観は観光案内で紹介されていますが、水路上や管理設備の自由立入を認める公式情報は確認できません。

水路閣は浄水場ですか?

いいえ。疏水分線の水を通す水路橋であり、ここで浄水処理を行う施設ではありません。

ひび割れは修理されましたか?

2008年のひび割れ発見と管理計画の点検方針は確認できますが、その後の個別補修完了状況は今回の資料から断定しません。

出典・参考資料

個別記事の最終確認:2026-11-04。資料中の年度・基準時点は詳細欄に記載しています。

  1. 文化庁「国指定文化財等データベース:琵琶湖疏水施設 南禅寺水路閣」(1888年・93.2m・14連アーチ・国宝指定日・所在地) ↗
  2. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水施設 国宝・重要文化財への指定について」(2025年5月16日、答申段階の資料) ↗
  3. 京都市上下水道局「水路閣管理計画」(1888年完成、2008年調査、維持管理、疏水分線の用途) ↗
  4. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水の歴史(3)」(疏水分線、寺社と景観への配慮) ↗
  5. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水のご紹介」(1983年市文化財指定、1996年国史跡指定) ↗
  6. 京都市琵琶湖疏水記念館「南禅寺水路閣(1)」(写真アーカイブ、長さ93.2m・幅約4m、アーチ表現) ↗
  7. 京都市琵琶湖疏水記念館「疏水さんぽ・岡崎/蹴上」(全長93.2m・高さ約9mと分線の位置) ↗
  8. 文化庁「文化遺産オンライン:琵琶湖疏水施設 南禅寺水路閣」(2025年8月27日国宝指定・施設説明) ↗
  9. 日本遺産・琵琶湖疏水「いこいの散策路 疏水分線」(分線の流路、かんがい・防火・水力利用) ↗

琵琶湖疏水 疏水分線

1887年着工・1890年竣工、蹴上から南禅寺・哲学の道方面へ延びる第1疏水の枝線

琵琶湖疏水の第1疏水から蹴上付近で分かれ、南禅寺水路閣や哲学の道を通る明治期の枝線水路。1887年9月着工、1890年3月竣工。建設当初約8.4kmだったが、所管替え後の京都市上下水道局の区間は約3.3km。かんがい・防火・水力利用から水道原水や景観にも関わってきた。

所在地
京都府京都市左京区蹴上~北白川付近(現所管区間を中心とする線状施設。単一番地なし)
施設種別・現況
疏水施設・現存
年代・供用状況
1887年9月着工、1890年3月竣工(南禅寺水路閣単体は1888年完成)
構造・形式
第1琵琶湖疏水から蹴上で分岐する開水路と水路橋等。歴史上の延長と現所管区間は異なる
能力・規模
建設当初の延長約8.4km/所管替え後約3.3km(京都市2025年公開の疏水史)。通水能力ではない
見学・公開条件
哲学の道など公式に紹介された水路沿いの散策路を利用できる。水路内部・管理施設への自由立入や全区間の通行は保証されない
役割・設備・沿革・見学・FAQを詳しく読む

第1疏水から蹴上で分かれる水路

疏水分線は、琵琶湖の水を京都へ導く第1琵琶湖疏水から蹴上で北へ分かれる枝線です。京都市の疏水史によると、当初は幹線として計画されましたが、計画変更で規模を縮小しました。歴史的な流路は南禅寺・若王子・吉田山東北側・高野・下鴨を経て堀川方面へ向かいました。現在の京都市上下水道局の所管範囲と、この歴史上の全流路を混同しません。[1][9]

1887年着工・1890年竣工、延長の二つの数字

京都市上下水道局は、分線が1887(明治20)年9月に着工し、1890(明治23)年3月に竣工したと記します。建設当初の延長は約8.4kmでしたが、後年に大半を別部局へ所管替えしたため、同局の疏水史に示す現在の延長は約3.3kmです。これは同じ範囲の測量値が食い違ったわけではなく、管理する区間の違いです。散策コース全体の距離や第1疏水本線の長さ、毎秒流量とは区別します。[1][2][3]

水力利用・かんがい・防火を目的に整備

京都市は、沿線での水力利用、かんがい、防火用水の供給を主目的として分線が設けられたと説明しています。第1疏水の整備は明治京都の産業振興と結びつきましたが、第1疏水全体の毎秒8.35m³という歴史的流量を分線単独の設計流量として転記しません。分線固有の現在流量・導水能力は今回確認した公開資料からは不詳です。[1][2]

南禅寺水路閣と哲学の道

分線が寺社の多い東山の山裾を通ることから、京都市は周囲の環境や景観に配慮して南禅寺境内に水路閣を設けました。水路閣単体は1888年完成で、分線の1890年竣工と年が異なります。さらに北側の若王子~銀閣寺道には分線沿いの「哲学の道」があります。水路閣という一つの構造物、分線という路線、散策路の三者を分けて案内します。[1][8][9]

松ケ崎浄水場への歴史的な原水供給

京都市の経営ビジョン関連資料は、分線が農業用水・防火用水等のために建設され、松ケ崎浄水場の完成後は同浄水場へ水道原水を送る役割を主に担ったと説明します。その後、給水能力を増すため別途導水管が布設されたとしています。この記述は歴史的な送水の説明であり、分線の全区間が2026年現在も同じ経路・流量で松ケ崎浄水場に直接送水しているとは断定できません。[5]

所管替えと水辺空間の整備

京都市の疏水年表には1951年12月に分線の鴨川以西を、1961年8月に旧白川通以北を土木局へ移管した記録があります。1970年11月には哲学の道が一部開通し、1972年3月に全線開通しました。移管を水路の全面廃止と扱わず、現在の上下水道局管理区間約3.3kmが当初8.4kmより短い背景として説明します。[1][3][4]

桜並木と水路沿いの維持管理

京都市疏水事務所は水路の維持管理・水利用・流量の調整測定を担います。2012年の公表資料では、哲学の道沿いで桜の根の養生、老木の植え替え、植栽環境の整備、関雪桜の後継苗木の育成などを記録しました。2009年度に洗心橋~銀閣寺橋の約400mを整備し、2012年1月19日に銀閣寺西橋下流左岸に後継苗木3本を植樹したとあります。これらは当時の記録であり、2026年の樹木状態や全区間の工事完了を意味しません。[6][7]

文化財指定の範囲と散策上の注意

南禅寺水路閣は第1疏水関連施設として1996年に国史跡に指定され、文化庁の記録では2025年8月27日に国宝指定されています。これは疏水分線の全延長8.4kmまたは現在所管の3.3kmが一括して国宝指定されたことを意味しません。哲学の道などの散策路は公開されていますが、管理水路内部や閉鎖区域への立入、夜間を含む全線通行を保証しません。見学前には京都市の最新案内を確認してください。[1][7][8][9]

Deep research

京都市上下水道局の疏水史・年表・経営資料を中心に、分線の歴史的流路と現在の所管範囲、松ケ崎浄水場への送水の時期、公開散策路を分けて整理します。南禅寺水路閣の単体諸元や第1疏水全体の流量を分線の能力と混同しません。

最終確認:2026-11-04

施設データを詳しく見る

着工
1887年9月

京都市の分線工事記録

竣工
1890年3月

第1疏水と同時期。工事完了月を示す

当初延長
約8.4km

所管替え前の歴史的な分線の全延長

所管替え後の延長
約3.3km

京都市が2025年公開の疏水史で示す上下水道局の管理範囲

分岐点
蹴上付近

第1疏水から北へ分岐

南禅寺水路閣
1888年完成

分線に設けられた個別の水路橋。分線全体の完成とは異なる

鴨川以西の移管
1951年12月

京都市の疏水年表

旧白川通以北の移管
1961年8月

京都市の疏水年表

哲学の道 全線開通
1972年3月

散策路の整備時期。疏水自体の開通ではない

分線独自の現行流量
公式公開資料では確認できない

第1疏水本線の設計流量を代用しない

琵琶湖から分線を通る水の道筋

  1. 1
    琵琶湖から第1疏水へ

    琵琶湖側から取水した水が第1疏水本線を通り京都方面へ向かう。分線自体が湖岸の取水施設ではない。

  2. 2
    大津・山科を経て蹴上へ

    第1疏水が山科区間を通過し、蹴上付近まで届く。山科疏水はこの上流側の区間の通称。

  3. 3
    蹴上で分線へ分岐

    第1疏水本線から分かれ、東山の山麓沿いを北上する。

  4. 4
    南禅寺水路閣を渡る

    分線の水を1888年完成の煉瓦造水路橋で境内の上へ通す。橋そのものでは浄水処理しない。

  5. 5
    若王子・哲学の道沿いへ

    分線は若王子・吉田山の東北側へ延びる。沿道には散策路・桜並木がある。

  6. 6
    歴史上は高野・下鴨・堀川方面へ

    建設当初の延長8.4kmには現在の別部局所管区間も含まれる。現在の3.3kmを歴史的な全区間とみなさない。

疏水分線の建設・移管・保存の年表

  1. 分線の工事着手

    第1疏水の工事と並行して枝線に着手。

  2. 南禅寺水路閣が完成

    分線上の個別構造物の完成で、分線全体の竣工ではない。

  3. 疏水分線が竣工

    京都市の疏水史は当時延長約8.4kmとする。

  4. 松ケ崎浄水場が完成

    疏水年表に記録。後に分線が水道原水を送る役割を担った。

  5. 鴨川以西を移管

    疏水分線の一部が京都市土木局の所管に移る。

  6. 旧白川通以北を移管

    管理範囲の短縮を示す京都市の年表記録。

  7. 哲学の道が一部開通

    水路ではなく沿線の散策路に関する整備。

  8. 哲学の道が全線開通

    京都市の疏水年表で確認。

  9. 桜並木保全の検討委員会発足

    京都市の2012年保全記録による。

  10. 関雪桜の後継苗木を植樹

    1月19日に銀閣寺西橋下流左岸へ3本。

  11. 南禅寺水路閣が国宝指定

    8月27日。分線全長が国宝指定されたわけではない。

見学・アクセス情報

京都市が案内する哲学の道などの散策路を利用できますが、線状施設には一つの入口や全区間共通の公開時間があるわけではありません。

所在地
京都市左京区蹴上・南禅寺・若王子・北白川方面
散策路
哲学の道など京都市が紹介する一般通行部
水路内部
管理用水路であり一般自由立入の確認なし
管理窓口
京都市上下水道局水道部疏水事務所
利用前の確認
工事・保全規制や散策路の最新案内を確認

見学目的でも門・柵・管理区域を越えず、管理者が案内する公開条件と指定経路に従ってください。

水道原水と水質データの扱い

京都市は松ケ崎浄水場へ原水を送った歴史を説明していますが、分線自体は浄水処理施設ではありません。現在の市営水道の水質検査結果を分線の独立した水質値として掲載せず、分線固有の取水量・流量も確認できない範囲では不詳とします。[5]

よくある質問

疏水分線とは何ですか?

第1琵琶湖疏水から蹴上で分岐し、南禅寺や哲学の道方面へ延びる明治期の枝線水路です。

いつ完成しましたか?

京都市の疏水史では1887年9月着工、1890年3月竣工です。水路閣単体の完成は1888年です。

長さは8.4kmと3.3kmのどちらですか?

両方とも京都市の記録です。約8.4kmは建設当初、約3.3kmは所管替え後の上下水道局の区間を表します。

分線の水はどこから来ますか?

琵琶湖から第1疏水を通って大津・山科を経た水が蹴上付近で分かれます。

何のために造られましたか?

水力利用、かんがい、防火用水などの供給を目的として整備されました。

松ケ崎浄水場へ水を送っていますか?

京都市資料は浄水場完成後に主な原水供給を担ったと説明しますが、現在の正確な導水経路・分線固有流量は今回の資料だけでは断定できません。

南禅寺水路閣と同じ施設ですか?

いいえ。水路閣は分線を南禅寺境内に通す一つの水路橋で、分線はその前後を含む水路です。

疏水分線全体が国宝ですか?

いいえ。南禅寺水路閣は2025年8月27日に国宝指定されていますが、分線の全長が一括指定されたわけではありません。

哲学の道を歩けますか?

京都市は散策路として紹介しています。ただし工事や樹木保全で一部の立入が制限される場合があります。

水路の中に入れますか?

一般自由立入の公式案内は確認できません。公開された歩道から見学し、管理区域への立入は避けてください。

出典・参考資料

個別記事の最終確認:2026-11-04。資料中の年度・基準時点は詳細欄に記載しています。

  1. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水の歴史(3)」(1887年着工、1890年竣工、当初8.4kmと所管替え後3.3km、経路・用途) ↗
  2. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水の歴史(2)」(第1疏水の建設経緯、工事費の対象範囲) ↗
  3. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水のご紹介」(所管替えと疏水の年表) ↗
  4. 京都市上下水道局「疏水年表」(1951・1961年の所管替え、1970・1972年の哲学の道整備など) ↗
  5. 京都市上下水道局「京都市水道事業・公共下水道事業 経営ビジョン関連資料」(松ケ崎浄水場への歴史的送水と別途導水管) ↗
  6. 京都市上下水道局「水道部疏水事務所」(現在の水利用・維持管理・流量調整担当) ↗
  7. 京都市上下水道局「疏水分線『哲学の道』における桜並木の保全」(植栽環境整備・関雪桜後継苗木) ↗
  8. 文化庁「国指定文化財等データベース:琵琶湖疏水施設 南禅寺水路閣」(2025年8月27日国宝指定) ↗
  9. 京都市琵琶湖疏水記念館「疏水さんぽ・岡崎/蹴上」(水路閣と哲学の道の位置関係) ↗

京都市山科区の施設・詳細情報

山科疏水

第1琵琶湖疏水が京都・山科盆地北部を通る約4kmの水路区間と散策路

第1琵琶湖疏水が第1トンネル西口から京都市山科区の日ノ岡へ至る、約4kmの水路区間の通称。1890年に完成した疏水の一部で、安祥寺川水路橋や1903年の第11号橋など近代土木の遺構が沿線に残る。水路沿いの散策ができるが、管理する水路内部への立入はできない。

所在地
京都府京都市山科区四ノ宮~日ノ岡(線状の水路区間。単一の番地はない)
施設種別・現況
疏水施設・現存
年代・供用状況
第1琵琶湖疏水は1890年(明治23年)完成。山科区間だけの独立供用開始年ではない
構造・形式
第1琵琶湖疏水の山科区間。開水路、隧道・坑門、安祥寺川を渡る水路橋などが沿線に分布
能力・規模
山科疏水の区間長約4km。区間単独の設計導水量・現行流量は今回の公式資料では不詳
文化財等
第1疏水の第一隧道は2025年8月27日国宝指定。山科疏水約4km全体を一律に国宝指定とするものではない
見学・公開条件
山科疏水沿いの散策路は京都市公式観光案内で紹介。ただし水路内部・管理設備・閉鎖区域への立入は禁止。通船は別途予約条件を確認
役割・設備・沿革・見学・FAQを詳しく読む

「山科疏水」は山科区間の通称

京都市の琵琶湖疏水見どころ案内は、第1トンネル出口から日ノ岡までの約4kmを「山科疏水」と定義しています。琵琶湖疏水記念館の田邉家資料も、第1トンネル西口を出て山科盆地北部の山麓を流れる部分と説明します。山科疏水はこの線状の区間全体であり、一つの水路橋や浄水場の名称ではありません。公式観光Naviは所在地を山科区四ノ宮~日ノ岡とし、沿道の遊歩道を紹介しています。[1][2][7]

1890年の第1疏水完成と明治京都の水運

山科疏水は琵琶湖と京都市内をつなぐ第1琵琶湖疏水の途中区間です。京都市の公式観光案内は、第1疏水が1890(明治23)年に完成し、明治維新後の京都の産業復興を目的として計画されたと説明します。完成後は水路を利用した通船も発展しました。1890年は第1疏水全体の完成年であり、山科区間の個々の橋・トンネルが同じ日に完成したことまでは示しません。[2][3]

第1隧道から安祥寺川水路橋・第11号橋へ

山科疏水の東側では、琵琶湖側から第1隧道を抜けた水が山科盆地北部の山裾へ出ます。文化庁による第1隧道の指定記録は1890年、煉瓦造、延長2,444.4m、竪坑2基としますが、この2,444.4mは山科疏水の開水路長ではありません。山科では南北に流れる安祥寺川を疏水が水路橋で立体交差し、日ノ岡の第11号橋は1903(明治36)年に造られた日本初期の鉄筋コンクリート橋として京都市観光案内に紹介されています。[3][6][8]

約4kmの水路と約4.2kmの散策路を区別する

日本遺産の施設案内による山科疏水の区間長は約4km。一方、京都市公式観光Naviの散策案内には四ノ宮~日ノ岡の沿道約4.2kmという記載もあります。前者は水路区間の概数、後者は散策する経路の距離として扱い、両者を厳密に同一測量値とはみなしません。桜並木や毘沙門堂への参道周辺など、山科の緑地と生活空間が水路沿いに続きます。[1][3][9]

1931年の底張りと1968~1974年の大改修

京都市上下水道局の疏水史によれば、1931(昭和6)年には第1疏水山科地区の開水路でコンクリート底張りなどの改修を実施しました。1968~1974(昭和43~49)年にも大津~蹴上の第1・第2疏水全線を対象とする導水路整備事業が行われました。1989(平成元)年3月には夷川管理棟から大津~伏見の疏水流量を集中的に監視・制御する設備が完成しています。ただし広域の遠隔監視設備を山科疏水単独の設備として数えません。[4]

水道水源と第1疏水の冬期管理を混同しない

京都市の2025年12月の公表は、2026年1月6日~3月13日に第1疏水を冬期停水して土砂浚渫・清掃を行う予定としています。これは当時の予定期間で、作業の実績完了日を証明する記録ではありません。同公表は、市の水道水源を第2疏水から年間を通して取水するため、予定した第1疏水停水による水道給水への影響はないと説明しています。第1疏水の山科区間をそのまま現在の水道水の全量取水路と表現しません。[5][11]

新山科浄水場への導水トンネルとは別の施設

京都市は新山科浄水場の紹介で、山科区日ノ岡において琵琶湖疏水から原水を取水し、延長約500mの導水管と約4kmの導水トンネルで自然流下させる仕組みを説明しています。この「約4kmの導水トンネル」は山科疏水の「約4kmの開水路区間」とは別の施設と定義です。地図上で近接する流路や同じ4kmという数字から同一設備と判断しません。[10]

文化財の指定範囲と現在の利用

文化庁は、第1隧道を「琵琶湖疏水施設」の一部として2025年8月27日に国宝指定しています。山科疏水沿いにはトンネル坑門や歴史的な橋が点在しますが、約4kmの山科疏水全体が同日国宝になったとするものではありません。京都市の観光情報は、山科疏水沿いの散策、桜・紅葉の名所としての利用を案内しています。文化財指定と一般の立入可能範囲を混同しません。[2][3][6][9]

散策は水路沿いから。水路内部への立入は禁止

京都市の公式観光案内は、JR・地下鉄山科駅や四ノ宮駅、御陵駅周辺から山科疏水沿いに歩くルートを紹介しています。桜の見頃や通船の運航日、遊歩道の工事規制は時期により変わります。一方、京都市上下水道局は疏水の水路内部に立ち入らないよう明示しています。一般向けの散策路と管理水路内部は明確に分け、来訪前に最新の通行・運航案内を確認してください。[2][3][5][9]

Deep research

第1琵琶湖疏水の山科区間を単位とし、路線・沿道の土木施設・改修・文化財指定を個別に説明します。山科疏水の約4kmと浄水場への約4kmの導水トンネルは別の数値です。

最終確認:2026-11-04

施設データを詳しく見る

施設の範囲
第1トンネル西口~日ノ岡

京都市の公式施設紹介が定義する山科疏水の区間

区間長
約4km

第1疏水の山科部分。沿道の散策路距離とは区別

散策路
約4.2km

京都市公式観光案内の四ノ宮~日ノ岡ルート概数

第1琵琶湖疏水完成
1890年

疏水全体の完成年であり単独区間の供用日ではない

第1隧道
2,444.4m

文化庁の隧道単体の長さ。山科疏水約4kmと合算しない

日ノ岡第11号橋
1903年

京都市公式観光案内が紹介する橋の建設年

開水路の底張り
1931年

第1疏水山科地区の改修

導水路改修
1968~1974年

大津~蹴上の第1・第2疏水を対象とする広域事業

第1隧道の国宝指定
2025年8月27日

山科疏水区間全体の指定日ではない

区間単独の設計流量
公式公開資料では確認できない

第1・第2疏水全体の水量を代入しない

第1疏水の水の流れと山科区間

  1. 1
    琵琶湖から第1疏水へ取水

    滋賀県大津側の取水口から疏水の水路へ導入される。

  2. 2
    第1隧道を通過

    文化庁記録で延長2,444.4mの第1トンネルを経て山科盆地へ出る。

  3. 3
    山科盆地北部の山裾を通過

    第1トンネル西口から日ノ岡までの約4kmが山科疏水と呼ばれる。

  4. 4
    安祥寺川の上を水路橋で横断

    疏水の流れが川と立体交差し、川の水流を遮らないようにした土木構造。

  5. 5
    日ノ岡を経て蹴上方面へ

    山科区間を抜けた第1疏水は京都市街地に向かって続く。

  6. 6
    多目的に利用・維持管理

    京都市は第1疏水を冬期停水・浚渫し、第2疏水からの通年水道水源取水と区別している。

山科疏水と第1疏水の主な沿革

  1. 第1琵琶湖疏水が完成

    山科疏水は第1疏水の山科区間の通称。

  2. 日ノ岡第11号橋が架設

    山科沿線の初期鉄筋コンクリート橋として京都市観光案内に掲載。

  3. 山科地区の開水路を改修

    第1疏水山科地区の開水路にコンクリート底張りを施工。

  4. 大津~蹴上間の導水路整備

    第1・第2疏水全線の改修事業。山科区間のみの工事としない。

  5. 疏水流量の遠隔監視・制御設備が完成

    夷川管理棟を中心とする大津~伏見の広域システム。

  6. 琵琶湖疏水の観光通船が本格再開

    大津~蹴上を中心とする観光航路で、山科疏水区間も紹介される。

  7. 第1隧道が国宝指定

    文化庁記録は2025年8月27日。約4km全体の指定と混同しない。

  8. 京都市が翌冬の停水予定を発表

    第1疏水の浚渫・清掃のための計画。

  9. 第1疏水の停水・浚渫予定期間

    公表上の予定日は1月6日~3月13日。個別作業の完了を推定しない。

見学・アクセス情報

京都市の観光案内は山科疏水沿いの散策路を紹介。水路内部・管理設備への立入や無条件の通船利用を意味しません。

所在地
京都府京都市山科区四ノ宮~日ノ岡の水路沿い
公共交通
山科駅・四ノ宮駅・御陵駅周辺から散策路へ
一般利用
公式案内が遊歩道の散策を紹介。時期や工事の通行制限は最新情報を確認
立入禁止
疏水の水路内部と閉鎖された管理区域

見学目的でも門・柵・管理区域を越えず、管理者が案内する公開条件と指定経路に従ってください。

水源・水質の扱い

第1疏水の山科区間は浄水処理を行う施設ではありません。京都市は第2疏水からの通年取水を水道水源として説明しており、新山科浄水場の水質検査値や取水池の値を、山科疏水区間の独立した水質値として帰属させません。[5][10][11]

よくある質問

山科疏水とはどこですか?

第1琵琶湖疏水が第1トンネル西口から日ノ岡へ流れる、京都市山科区内約4kmの区間の通称です。

いつ造られましたか?

第1琵琶湖疏水全体が1890年に完成しました。個々の橋や改修の年は別に扱います。

全長は4kmですか、4.2kmですか?

京都市の疏水見どころ案内は水路区間を約4km、公式観光案内は四ノ宮~日ノ岡の散策路を約4.2kmと説明しています。

第1トンネルの長さは山科疏水に含まれますか?

第1隧道単体の長さは文化庁記録で2,444.4mです。山科疏水の約4kmと同一の施設長として合算しません。

山科疏水沿いには何がありますか?

安祥寺川水路橋、日ノ岡第11号橋、トンネルの坑門など、疏水に関連する歴史的土木施設があります。

山科疏水は国宝ですか?

第1隧道は2025年8月27日に国宝指定されましたが、山科区間の全長約4kmが一括して国宝指定されたとするものではありません。

現在も水道水として使われていますか?

疏水全体は水道・かんがい等に利用されます。京都市は第1疏水の冬期停水中も水道原水を第2疏水から年中取水すると公表しています。

水路の中を歩けますか?

いいえ。京都市は水路内部に立ち入らないよう注意喚起しています。散策は遊歩道から行ってください。

冬には水が止まるのですか?

京都市は土砂浚渫と清掃のため第1疏水を冬期停水する予定を公表しています。年度ごとの実施状況と期間は最新情報で確認してください。

出典・参考資料

個別記事の最終確認:2026-11-04。資料中の年度・基準時点は詳細欄に記載しています。

  1. 日本遺産・琵琶湖疏水「山科疏水」(第1トンネル出口から日ノ岡までの区間約4km) ↗
  2. 京都市公式観光Navi「第1琵琶湖疏水」(第1疏水の完成年、山科区の区間・遊歩道) ↗
  3. 京都市公式観光Navi「山科疏水沿い歴史めぐり旅」(安祥寺川水路橋、日ノ岡第11号橋、約4.2kmの散策路) ↗
  4. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水の歴史(5)」(1931年の山科地区底張り、1968~1974年改修、1989年遠隔監視) ↗
  5. 京都市上下水道局「第1疏水の停水・土砂浚渫」(2025年12月公表、2026年冬期予定、立入禁止と第2疏水の水道水源) ↗
  6. 文化庁「琵琶湖疏水施設 第一隧道」(1890年、延長2,444.4m、2025年8月27日国宝指定) ↗
  7. 京都市琵琶湖疏水記念館「山科運河 御陵(1)」(第1トンネル西口から山科盆地北部の山麓へ) ↗
  8. 京都市琵琶湖疏水記念館「疏水さんぽ・大津~山科」(第1隧道、安祥寺川水路橋、山科の沿線施設) ↗
  9. 京都市公式観光Navi「山科疏水の桜」(散策路、開花時期とアクセス) ↗
  10. 京都市上下水道局「新山科浄水場のあらまし」(日ノ岡取水と新山科浄水場への別の導水管・導水トンネル) ↗
  11. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水の歴史(6)」(現代の疏水の多目的水利用) ↗

琵琶湖疏水 第2トンネル入口

第1琵琶湖疏水の東坑門。井上馨の扁額を掲げる、国宝「第二隧道」の入口

京都市山科区の第1琵琶湖疏水にある第二隧道の東側入口。石造の坑門に井上馨の「仁以山悦智為水歓」の扁額が掲げられる。京都市記念館は1887年12月完成、文化庁は建設年1888年と記載。国宝指定記録の隧道延長は125.3mで、2025年8月27日に第二隧道全体が国宝となった。

所在地
京都府京都市山科区御陵黒岩付近(文化庁指定記録の第二隧道所在地は御陵黒岩・御陵封ジ山町)
施設種別・現況
疏水施設・文化財指定
年代・供用状況
京都市記念館は1887年12月30日完成と記録。文化庁の国宝指定記録では建設年1888年。両資料の年次差は未解明
構造・形式
第1疏水の煉瓦造第二隧道の東側坑門。入口部は石造ポータル・古典主義的意匠。文化庁のトンネル延長125.3m、翼壁附属
能力・規模
第2トンネル延長125.3m(文化庁指定記録)。京都市の一般案内では約124m。入口単独の流量は不詳
文化財等
国宝「琵琶湖疏水施設 第二隧道」(2025年8月27日指定)。指定は入口だけでなく煉瓦造隧道と翼壁を含む1所
見学・公開条件
京都市琵琶湖疏水記念館が東口・西口をたどる散策コースを紹介。公開された周辺歩道からの外観観察に限り、水路・トンネル内部や管理区域には立ち入れない
役割・設備・沿革・見学・FAQを詳しく読む

第1疏水にある「第二隧道」の東側入口

第2トンネル入口は、琵琶湖から京都へ水を運ぶ第1琵琶湖疏水の山科区間にある、第二隧道の東坑門です。公式の「見どころ」案内は山科エリアの第2トンネル入口として紹介し、文化庁の指定記録は第二隧道の所在地を京都市山科区御陵黒岩・御陵封ジ山町とします。この登録は入口と出口を含む一つの隧道に対するもので、両方の坑門が同じ番地にあると断定しません。第2疏水という1912年完成の別系統の水路とも区別します。[1][2][10]

1887年12月30日完成と、文化庁の1888年建設年

京都市琵琶湖疏水記念館が公開する工事中写真の解説によれば、第2トンネルは当初の計画にはなく、設計変更により採用されました。同館は1887(明治20)年3月に着工し、同年12月30日に完成したと記しています。一方、文化庁の国宝指定記録と京都市の2025年指定説明資料は建設年を1888(明治21)年とします。記録の対象や完成・竣工の定義による差かどうかは確認できないため、両方の記載を併記します。第1疏水全体の1890年完成を本トンネル単独の完成年へ置き換えません。[2][5][8][10]

煉瓦造の隧道と石造の入口ポータル

文化庁の指定記録は第二隧道を「煉瓦造隧道、延長125.3m、翼壁附属」としています。京都市の2025年説明資料は、入口部に古典主義的な石造ポータルがあり、出口部は石造の尖頭アーチと煉瓦造ポータルを組み合わせたゴシック風意匠だと区別しています。この見た目の差は東口と西口の特徴です。京都市の疏水概要データにある高さ4.09m・幅員4.54mは第2トンネルの表記であり、入口坑門の外形寸法そのものとは限りません。[2][7][8]

「125.3m」「約125m」「約124m」の扱い

トンネルの長さには公式資料間で異なる表記があります。文化庁の2025年指定記録は125.3m、京都市記念館の歴史写真解説は約125m、京都市上下水道局の概要データと日本遺産「見どころ」案内は124mまたは約124mです。測定範囲や基準時点の差を確定できないため、国宝の構造欄は文化庁の125.3mを採用し、一般案内の概数も明示します。いずれも第二隧道全体の延長であって、入口構造物だけの長さではありません。[1][2][5][7]

井上馨の扁額と西側の西郷従道の文字

東口には井上馨が揮毫した「仁以山悦智為水歓(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ)」の扁額があります。京都市の公式案内は、仁者は動かない山を、智者は流れる水を喜ぶという趣旨を説明しています。反対側の西口には西郷従道による「隨山到水源」が掲げられています。東口の井上馨と西口の西郷従道を混同せず、文字の意味は公式案内の解釈に基づいて紹介します。[1][6][9]

山科疏水の水の経路と隣接する橋

第1疏水の水は大津側の第1トンネルを抜けて山科北部の山裾を流れ、第二隧道を東口から西口へ通過して第三隧道・蹴上へ進みます。京都市の2025年文化財説明資料では、1904(明治37)年建設の第一〇号橋(山ノ谷橋)が第二隧道入口のやや上流に位置すると紹介されています。第一〇号橋は別の指定建造物であり、その建設年や橋の構造を第二隧道のものとして扱いません。第1疏水全体の流量毎秒8.35m³も入口の独立した測定値ではありません。[8][10]

2025年に「第二隧道」が国宝指定

京都市は2025年5月16日に文化審議会の国宝・重要文化財指定答申を発表し、同年8月27日発行の官報で琵琶湖疏水施設が正式指定されたと公表しました。文化庁の指定記録では第二隧道は1所、2025年8月27日付の国宝です。「第2トンネル入口」だけが独立して国宝1件になったわけではありません。京都市の説明する国宝5か所には第一隧道・第二隧道・第三隧道・インクライン・南禅寺水路閣が含まれます。[2][3][4]

現役水路の保全と見学の範囲

第二隧道は京都市が管理する第1疏水の構成施設として残っています。京都市は1968~1974年に第1・第2疏水の大津~蹴上区間全線で導水路整備事業を実施したと説明しますが、第二隧道に対する個別の補修工法・完成年月までは今回確認できません。琵琶湖疏水記念館は東口・西口をめぐる散策ルートを案内する一方、京都市は水路内部への立入や釣り・遊泳・無許可の乗艇を禁止しています。公開された周辺歩道からの外観見学と、坑門内・水路内への入場を明確に区別してください。[6][11][12]

Deep research

京都市琵琶湖疏水記念館の工事写真解説、京都市上下水道局の施設案内、文化庁の2025年国宝指定記録を照合しました。1887年12月30日の完成記述と1888年建設年、124m前後の案内値と125.3mの文化財指定値を出典別に区別しています。

最終確認:2026-11-04

施設データを詳しく見る

記念館の着工記録
1887年3月

当初計画にはなく、設計変更で建設されたと同館が説明

記念館の完成記録
1887年12月30日

文化庁の1888年建設年とは一致しない。理由は未解明

文化庁の建設年
1888年

国宝「琵琶湖疏水施設 第二隧道」の登録値

隧道延長
125.3m

文化庁の指定記録。京都市一般案内は約124m、京都市記念館は約125m

高さ・幅員
4.09m・4.54m

京都市の琵琶湖疏水路概要データによるトンネル寸法。坑門外形ではない

構造
煉瓦造、翼壁附属

入口石造ポータル、出口煉瓦造ポータルという京都市の意匠説明を併記

東口の扁額
仁以山悦智為水歓

井上馨の揮毫

西口の扁額
隨山到水源

西郷従道の揮毫。東口ではない

国宝指定日
2025年8月27日

5月16日は文化審議会の答申日

入口単独の現行流量
公式公開資料で確認できない

第1疏水全体の流量を入口の実績値にしない

第1疏水が第二隧道を通過する経路

  1. 1
    琵琶湖から第1疏水へ

    第1疏水の上流取水口から琵琶湖の水を京都へ導く。第2疏水の取水口ではない。

  2. 2
    長等山の第一隧道を通過

    第1疏水は大津側から長等山の第1トンネルを通って山科区側へ出る。

  3. 3
    山科北部の開水路を進む

    山科の山裾を流れる第1疏水の区間で、第一〇号橋付近を経て第二隧道の東口へ向かう。

  4. 4
    東口の石造ポータルに達する

    井上馨の扁額を掲げる石造の坑門から第二隧道へ入り、煉瓦造の水路トンネルを通過する。

  5. 5
    西口から開水路に出る

    西郷従道の扁額を持つ西側の坑門を出る。東口とは意匠も扁額の揮毫者も異なる。

  6. 6
    第三隧道から蹴上へ

    さらに山科の第1疏水を西へ進み、第三隧道を経て蹴上方面へ水が届く。

第二隧道の建設・指定と疏水の沿革

  1. 第1疏水全体の工事開始

    京都市の疏水史に記録。第二隧道自身の着工日ではない。

  2. 第二隧道を着工

    京都市記念館は、当初計画を変更して建設に至ったと記録。

  3. 京都市記念館が伝える完成日

    記念館の歴史写真解説の記載。文化庁の建設年とは差がある。

  4. 文化庁が記録する建設年

    国宝指定記録と京都市2025年説明資料の表記。差の原因は確定できない。

  5. 第1疏水の上流区間が竣工・竣工式

    大津~鴨川合流点の工事が3月に完了、4月9日に竣工式。第二隧道の独立完成日とは別。

  6. 大津~蹴上の導水路整備

    京都市の歴史資料による第1・第2疏水全線の整備で、第二隧道個別の工事内訳は不詳。

  7. 文化審議会が国宝指定を答申

    指定を求めた答申であり正式指定日ではない。

  8. 第二隧道を国宝に正式指定

    官報告示と文化庁の指定データにより確認。

  9. 現役疏水の安全な観察が前提

    京都市は水路内部への立入等を禁止。専用の坑門内部公開案内は未確認。

見学・アクセス情報

京都市記念館は山科区の東口・西口をたどる散策コースを公開しています。水路内やトンネル内への一般入場を意味せず、立入規制を守って周辺の公開歩道から観察してください。

所在地
京都市山科区御陵黒岩付近(第二隧道の指定所在地は御陵黒岩・御陵封ジ山町)
公開されている案内
京都市琵琶湖疏水記念館の「大津~山科さんぽ」に東口・西口を含む散策ルート
最寄りの公共交通
京都市記念館のモデルコースは地下鉄東西線御陵駅を起点に紹介
坑門・トンネル内
常設一般公開の案内は確認できない。水路内部・閉鎖管理区域には立ち入れない
現地注意
散策路の通行規制は最新案内を確認。無許可乗艇・釣り・遊泳は禁止

見学目的でも門・柵・管理区域を越えず、管理者が案内する公開条件と指定経路に従ってください。

水路管理と公表値の区分

第二隧道は第1疏水を通す土木施設であり、浄水処理や飲用水質検査を行う施設ではありません。第1疏水全体の設計流量、京都市の水道水質値、2025年文化財指定時の延長を同じ指標にしません。第二隧道の独立した2026年時点の導水流量・水質データは今回の公式資料で確認できません。[2][7][10][11]

よくある質問

第2トンネル入口はどこにありますか?

京都市山科区の第1疏水上、第二隧道の東側坑門です。指定記録の第二隧道所在地は御陵黒岩と御陵封ジ山町です。

第2トンネルは第2疏水のトンネルですか?

いいえ。第1琵琶湖疏水の一部です。1912年完成の第2疏水とは別の水路系統です。

トンネルの長さは何mですか?

文化庁の国宝指定記録では125.3mです。京都市の見どころ案内は約124m、同市記念館は約125mと表記し、算定差は未解明です。

1887年完成と1888年建設のどちらが正しいですか?

京都市記念館は1887年12月30日完成、文化庁は1888年建設と記録します。定義や記録上の差は確認できないため双方を示します。

入口の「仁以山悦智為水歓」は誰が書いたものですか?

井上馨の揮毫です。動かない山と流れる水を対比した言葉と京都市の公式案内は説明します。

西側の出口にも扁額がありますか?

はい。西側には西郷従道の「隨山到水源」が掲げられ、東口とは意匠も揮毫者も異なります。

入口単体が国宝に指定されたのですか?

入口だけの独立指定ではありません。第二隧道(煉瓦造隧道、翼壁附属)1所が2025年8月27日に国宝指定されました。

内部を歩いて見学できますか?

常設の一般公開案内は確認できません。京都市記念館は周辺の散策路を紹介していますが、疏水の水路内部・管理区域への立入は禁止です。

近くにほかの近代土木遺産はありますか?

京都市の指定説明資料は、第二隧道入口のやや上流に1904年建設の第一〇号橋(山ノ谷橋)があると記載しています。第二隧道とは別の施設です。

出典・参考資料

個別記事の最終確認:2026-11-04。資料中の年度・基準時点は詳細欄に記載しています。

  1. 日本遺産・琵琶湖疏水「第2トンネル入口」(第1疏水、約124m、井上馨の扁額) ↗
  2. 文化庁「文化遺産オンライン:琵琶湖疏水施設 第二隧道」(1888年・125.3m・煉瓦造・翼壁・所在地・2025年国宝指定) ↗
  3. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水施設 国宝・重要文化財への指定について」(2025年5月16日答申) ↗
  4. 京都市「琵琶湖疏水施設 国宝・重要文化財への正式指定について」(2025年8月27日官報告示) ↗
  5. 京都市琵琶湖疏水記念館「工事中の第2トンネル西口」(1887年3月着工・同年12月30日完成、当初計画からの変更) ↗
  6. 京都市琵琶湖疏水記念館「疏水さんぽ・大津~山科」(東口・西口の扁額、散策コース) ↗
  7. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水路 概要データ」(第2トンネル124m、高さ4.09m、幅員4.54m) ↗
  8. 京都市「国宝・重要文化財への指定について」市長記者会見資料(第2隧道の入口石造ポータル・出口煉瓦造尖頭アーチ) ↗
  9. 日本遺産・琵琶湖疏水「扁額」(東口の井上馨、西口の西郷従道による揮毫) ↗
  10. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水の歴史(2)」(第1疏水の1885年着工・1890年竣工と水路全体の流れ) ↗
  11. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水の歴史(5)」(1968~1974年の第1・第2疏水全線改修。隧道個別の工事履歴とは区別) ↗
  12. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水を大切に守りましょう」(水路立入・遊泳・釣り・無許可乗艇の禁止) ↗

琵琶湖疏水 第3トンネル出口

1889年完成、蹴上船溜へ水を導く国宝「第三隧道」の西坑門と三条実美の扁額

第1琵琶湖疏水が山科から蹴上船溜へ出る第三隧道の西坑門。1889年3月完成で三条実美の扁額「美哉山河」を掲げる。文化庁の指定記録では煉瓦造隧道の全長851.5m。2025年8月27日に第三隧道全体が国宝指定された。近くには旧御所水道ポンプ室がある。

所在地
京都府京都市山科区日ノ岡堤谷町付近(文化庁の第三隧道指定所在地は御陵封ジ山町・日ノ岡堤谷町)
施設種別・現況
疏水施設・文化財指定
年代・供用状況
1887年3月東口着工、同年7月西口着工、1889年3月完成。国宝指定は2025年8月27日
構造・形式
煉瓦造第三隧道の西坑門。出口部は石造ポータル・古典主義的意匠。文化庁の隧道延長851.5m、翼壁附属
能力・規模
第三隧道延長851.5m(文化庁記録)。京都市の一般案内は850m・約852m。出口単独の導水量は不詳
文化財等
国宝「琵琶湖疏水施設 第三隧道」(2025年8月27日)。西坑門単独でなく隧道1所が対象
見学・公開条件
京都市の蹴上・岡崎散策コースから西坑門の外観を観察できる。疏水船には季節・予約等の条件があり、坑門・水路内の自由立入はできない
役割・設備・沿革・見学・FAQを詳しく読む

第三隧道が蹴上船溜へ出る西坑門

第3トンネル出口は、第1琵琶湖疏水の山科から蹴上へ至る第三隧道の西側坑門です。京都市の公式見どころ案内では蹴上エリアに分類されています。文化庁は第三隧道を京都市山科区御陵封ジ山町・日ノ岡堤谷町に所在する1所として登録しています。入口・出口と隧道本体を含む国宝指定範囲と、西坑門だけを指す観光案内の名称を区別します。[1][2]

1887年に両側から着工、1889年3月完成

京都市琵琶湖疏水記念館の歴史写真解説は、日岡山の下を通って蹴上船溜に接続する第三隧道について、1887(明治20)年3月に東口から着工し、同年7月に西口からも掘り進め、1889(明治22)年3月に完成したと記録します。文化庁の建設年も1889年です。第1疏水全体の1890年完成を第三隧道の竣工年月と混同しません。[2][3]

851.5mと850m・約852mの資料差

文化庁の2025年国宝指定記録は第三隧道の延長を851.5mとします。京都市上下水道局の疏水概要データは850m、京都市の2025年施設説明資料は約852mです。測定範囲や算定時点の差は確認できないため、文化財の基本欄は851.5mとし、他の公式記述も併記します。概要データの高さ4.09m・幅員4.54mは隧道の数値であって、出口石造門の外形寸法ではありません。[2][6][8]

三条実美の「美哉山河」と東口の松方正義

西坑門には三条実美の揮毫した「美哉山河(うるわしきかなさんが)」の扁額があります。京都市上下水道局は「なんと美しい山河であることよ」と説明し、史記の故事に触れています。一方、山科側の東口の「過雨看松色」は松方正義の揮毫です。両方の文字や揮毫者を混同せず、京都市記念館が公開する西坑門の歴史写真とも照合しています。[1][4][9]

石造の西坑門と煉瓦造の水路トンネル

京都市の2025年資料では、第三隧道の入口は煉瓦と石造のポータルによるゴシック風意匠、出口は石造ポータルによる古典主義的意匠と説明されています。文化庁が指定する隧道本体は煉瓦造で翼壁が附属します。西坑門の装飾が石造であることを、隧道全体が石造という意味にはしません。[2][6]

蹴上船溜と旧御所水道ポンプ室

山科から第三隧道を通る第1疏水の水は、西坑門を抜けて蹴上船溜へ至ります。京都市琵琶湖疏水記念館には1889年頃の西坑門と船溜の工事写真が残ります。西坑門の近くには旧御所水道ポンプ室があり、京都市の散策案内では双方を同じ見どころとして紹介しています。ただしポンプ室は別施設であり、その設備・供用年を隧道に帰属させません。[3][5][10]

2025年8月27日に第三隧道が国宝指定

2025年5月16日の文化審議会答申の後、京都市は8月27日の官報告示による正式指定を公表しました。文化庁の国宝指定記録は第三隧道を「煉瓦造隧道、延長851.5m、翼壁附属」の1所としています。出口だけが別個に国宝指定されたのではなく、第1疏水全線が同日一律に国宝となったわけでもありません。[2][6][7]

外観散策と疏水船の利用条件

京都市記念館は地下鉄東西線蹴上駅から第三隧道西坑門と旧御所水道ポンプ室へ歩くルートを紹介しています。日本遺産の案内は出口が「びわ湖疏水船」の乗下船場近くにあり乗下船時に見られると説明し、京都市は2026年秋の季節運航も案内しています。ただし乗船は運航日・予約などの条件を確認する必要があり、水路・坑門・トンネル内部への自由立入を意味しません。京都市は釣り・遊泳・無許可の乗艇も禁止しています。[1][5][11][12]

Deep research

京都市上下水道局・琵琶湖疏水記念館の工事写真と文化庁の国宝指定記録を照合。1889年3月完成、三条実美の西口扁額、851.5mと850m・約852mの表記差、見学の範囲を分けて紹介します。

最終確認:2026-11-04

施設データを詳しく見る

東口の着工
1887年3月

京都市記念館の工事写真解説

西口の着工
1887年7月

西側からの掘削開始

隧道完成
1889年3月

京都市記念館の記録。文化庁の建設年は1889年

指定記録の延長
851.5m

文化庁。京都市資料は850m・約852m

トンネル高さ・幅員
4.09m・4.54m

京都市疏水概要データ。西坑門の外形とは別の指標

西口扁額
美哉山河

三条実美の揮毫

東口扁額
過雨看松色

松方正義の揮毫

国宝指定
2025年8月27日

第三隧道1所。答申日は2025年5月16日

下流接続先
蹴上船溜

山科側から第三隧道を出た西側

西口単独の現行導水量
公式公開資料で確認できない

第1疏水全体の流量を転記しない

山科から第三隧道を経て蹴上船溜へ

  1. 1
    琵琶湖から第1疏水へ

    琵琶湖の水を第1疏水が京都へ運ぶ。西坑門は取水施設ではない。

  2. 2
    大津から山科へ

    第1トンネルを通って山科盆地北部の水路に出る。

  3. 3
    第二隧道を経由

    山科の開水路と第二隧道を通って第三隧道の東口へ進む。

  4. 4
    第三隧道東口に入る

    松方正義の扁額がある山科側から日岡山の下の煉瓦造隧道へ入る。

  5. 5
    西口から地上へ

    三条実美の「美哉山河」が掲げられる石造ポータルの出口に達する。

  6. 6
    蹴上船溜へ

    船溜から歴史的な舟運・インクラインなどの水利用系統につながる。

第三隧道西坑門と琵琶湖疏水の年表

  1. 第1疏水全体の工事開始

    第三隧道単独の着工日ではない。

  2. 第三隧道の東口から着工

    京都市記念館の歴史写真の解説。

  3. 西口から着工

    日岡山の反対側から掘削を開始。

  4. 第三隧道が完成

    京都市記念館の完成月。文化庁の1889年建設年と整合する。

  5. 蹴上船溜と西坑門の工事写真

    京都市記念館に残る写真資料。撮影時点と完成日を区別する。

  6. 第1疏水全体の竣工式

    第三隧道は前年に完成している。

  7. 国宝指定の答申

    文化審議会答申であり正式指定日ではない。

  8. 第三隧道を国宝に指定

    官報告示による正式指定。

  9. 京都市が疏水船の季節運航を案内

    常時運航・内部徒歩公開の証明ではない。

見学・アクセス情報

京都市の蹴上・岡崎散策コースでは西坑門の外観を観察できます。疏水船は季節運航の条件を確認し、水路やトンネル内部に立ち入らないでください。

位置
蹴上船溜近く。第三隧道の文化庁指定所在地は山科区御陵封ジ山町・日ノ岡堤谷町
散策
地下鉄東西線蹴上駅を起点とする京都市記念館の「岡崎・蹴上さんぽ」
周辺施設
西坑門・蹴上船溜・旧御所水道ポンプ室
疏水船
乗下船場近く。運航日・予約などは別途公式案内を確認
内部の見学
常設の徒歩一般公開案内は確認できない。水路・隧道・閉鎖管理区域への立入は禁止

見学目的でも門・柵・管理区域を越えず、管理者が案内する公開条件と指定経路に従ってください。

隧道の延長と水質・流量の区分

西坑門は第1疏水の土木施設で、浄水場ではありません。第1疏水全体の取水量や京都市の水道水質値をこの坑門の実測値にしません。隧道延長851.5m(文化庁)と850m・約852m(京都市)の公式記述差を示し、測定基準が不明なまま単一値へ統合しません。[2][6][8]

よくある質問

第3トンネル出口はどこですか?

第1疏水が山科から蹴上船溜へ出る第三隧道の西坑門です。

第三隧道はいつ完成しましたか?

1887年に東西から着工し、1889年3月に完成しました。

トンネルの長さは?

文化庁は851.5m、京都市資料は850m・約852mと記載します。定義差は未解明です。

「美哉山河」は誰の揮毫ですか?

西口にある三条実美の揮毫です。

東口の扁額も同じですか?

いいえ。東口は松方正義の「過雨看松色」です。

出口は石造ですか?

出口のポータルは石造ですが、第三隧道本体は文化庁の指定記録で煉瓦造です。

出口単体が国宝ですか?

いいえ。2025年8月27日に第三隧道1所が国宝指定されました。

内部に入れますか?

常設の一般徒歩公開は確認できません。公開歩道から外観を見られますが水路内部への立入は禁止です。

びわ湖疏水船から見られますか?

公式見どころ案内は乗下船時に間近で見られると説明します。乗船には季節・予約等の条件があります。

出典・参考資料

個別記事の最終確認:2026-11-04。資料中の年度・基準時点は詳細欄に記載しています。

  1. 日本遺産・琵琶湖疏水「第3トンネル出口」(蹴上・三条実美・疏水船乗下船場) ↗
  2. 文化庁「琵琶湖疏水施設 第三隧道」(1889年・851.5m・国宝指定) ↗
  3. 京都市琵琶湖疏水記念館「工事中の第3トンネル東口」(1887年東西着工・1889年3月完成) ↗
  4. 京都市上下水道局「疏水名所案内」(三条実美・松方正義の扁額) ↗
  5. 京都市琵琶湖疏水記念館「岡崎・蹴上さんぽ」(西坑門と旧御所水道ポンプ室) ↗
  6. 京都市「国宝・重要文化財への指定」説明資料(約852mと東西坑門の意匠) ↗
  7. 京都市「琵琶湖疏水施設 国宝・重要文化財への正式指定」(2025年8月27日官報告示) ↗
  8. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水路 概要データ」(850m・高さ4.09m・幅員4.54m) ↗
  9. 京都市琵琶湖疏水記念館「第3トンネル西口洞門」(歴史写真・美哉山河) ↗
  10. 京都市琵琶湖疏水記念館「工事中の蹴上船溜と第3トンネル西口」(1889年頃) ↗
  11. 京都市上下水道局「琵琶湖疏水を大切に守りましょう」(立入・釣り・遊泳等の禁止) ↗
  12. 京都市上下水道局「2026秋季 親子で乗ろう!びわ湖疏水船!」(季節運航) ↗

地域の施設を調べるときのよくある質問

この地域の施設をすべて掲載していますか?

京都府内の全施設を網羅した一覧ではありません。現在は当サイトに掲載済みの導水路・疏水施設6件を整理しています。関連設備を別記事として数えている場合もあります。

地図にピンのない施設は掲載されていないのですか?

一覧への掲載と登録座標の有無は別です。登録座標のない施設も、施設選択で公開住所による検索地図を表示できます。検索地図の位置は目安で、入口や正確な敷地位置を保証しません。

公開されている所在地へ自由に入れますか?

所在地の掲載や地図表示は入場許可を意味しません。施設別の「見学・公開条件」と詳細欄のアクセス情報を確認し、訪問前に出典に記載された管理者の最新案内を確認してください。

施設情報の根拠と時点はどこで確認できますか?

各施設の直下に出典・参考資料と、記録がある場合は個別記事の最終確認日を表示しています。工程、沿革、数値の年度・注記、FAQは詳細欄で読めます。地域一覧の更新日を資料自体の確認日として扱っていません。

確認できない数値・経路・公開条件は補完していません。資料の読み方は見学ガイドと掲載基準をご確認ください。

京都府の導水路・疏水施設の掲載傾向と探し方

施設種別・地域別の一覧へ進めます。地域と施設種別を組み合わせた専用一覧は、所在地・概要・出典がそろった掲載記事が5件以上ある場合に公開しています。リンクの件数は移動先の掲載記事数です。

掲載施設
6件
施設種別
2種
見学可
0件
記録年代
1888–1894年

年代や現況は各施設ページで確認できます。訪問前には公開条件と管理者の最新案内をご確認ください。 一覧の読み方 と 掲載基準 も公開しています。