小田井用水路は紀の川右岸の河岸段丘に水を運ぶ
小田井用水路は、和歌山県北部の紀の川右岸に沿い、橋本市高野口町からかつらぎ町・紀の川市を経て岩出市に至る農業用水路です。川面より高い河岸段丘はかつて干ばつに悩まされていました。高い位置の取水口から緩やかに自然流下させることで農地に水を届けます。水道水を浄水・配水する施設ではありません。[1][2][3]
1707年に着工、1710年に水路全体が完成
紀州藩主・徳川吉宗のもとで大畑才蔵が工事を担い、上司の井澤弥惣兵衛も計画に関わりました。管理者の小田井土地改良区は1707年着工、橋本市高野口町から紀の川市名手市場までの第一期約21kmを1年8か月で完成と説明します。和歌山県議会の2017年会議録と農水省のICID解説は1710年完成とします。第一期の21km完成と全区間の1710年完成は別の節目です。[1][3][4][5]
水源は紀の川。小田の取水地点から始まる
管理者は現在の橋本市高野口町小田を小田井用水の取水口として示します。紀の川の水が右岸の高位段丘へ導かれ、農地に供給されます。1953年の紀州大水害の復旧工事を経て小田の井堰は1957年に改修されました。近畿農政局は1954~1957年度の紀の川災害復旧土地改良事業で紀の川本川の既設11堰が「小田・藤崎・岩出・新六ヶ」の4頭首工に統合されたと記録します。これら4頭首工の全てが小田井用水の取水口という意味ではありません。[1][2]
延長32.5kmと近畿農政局の33kmは資料上の表記差
水路長は管理者と2017年の和歌山県資料で32.5km、近畿農政局の広域解説では33kmと記されます。後者は概数の表記と読めますが、測定範囲・丸め方の正式な対応表は確認できないため出典を分けて併記します。近畿農政局が示す水路の標高差22m、平均勾配約1/1,500と、管理者・県が歴史的な測量・施工の特徴として示す「3~5kmで1m下がる」緩勾配の説明も、定義や区間が異なる可能性があり一つの現況勾配として合成しません。[1][2][4]
水盛台と才蔵日記に残る緻密な測量と工区分担
大畑才蔵は竹と水を使って水平を確かめる水盛台を使い、長大な水路でも高さを確保する測量を行いました。管理者が紹介する「才蔵日記」には約100m単位の水路の高さ・幅・勾配などの工事指示が残ります。区間を分け、農家が各地で並行して作業できる設計も工期短縮につながりました。農水省はこうした技術が後の「紀州流」に影響したと説明します。[1][3][4]
渡井と伏越で紀の川支流の谷を越える
紀の川へ流れ込む谷川を横切る際、水面を低くしすぎず通水するため「渡井」(川の上を渡る水路橋)と「伏越」(川底をくぐるサイフォン)が使われました。管理者の施設紹介には通水橋11か所、サイフォン10か所とありますが、個々の現行の稼働数・原形の残存数を示した一覧ではないため、全てが建設当初と同一構造で残るとは断定しません。[1][2][3]
龍之渡井:穴伏川を越える20.5mの水路橋
かつらぎ町高田と紀の川市西野山の境にある龍之渡井は、穴伏川に架かる小田井用水最大の水路橋です。建設当初は木製の掛樋でしたが、洪水被害を繰り返し、1919年に煉瓦や石を用いたアーチ橋へ改修されました。農林水産省と和歌山県文化財案内は橋長20.5m、幅5.3mとし、県はコンクリート・煉瓦を用いた単アーチと記述します。農水省は生活道としての利用も紹介しています。[1][6][11]
小庭谷川渡井と木積川渡井:近代煉瓦アーチの改修年に差
かつらぎ町笠田東の小庭谷川渡井は堂田川を渡る橋長9.3mの煉瓦アーチで、農水省は1909年改修とします。紀の川市西三谷と岩出市東坂本の境にある木積川渡井は橋長6.0m・幅3.8mで、農水省は1913年の煉瓦造改修と記載する一方、文化庁の国登録有形文化財データベースは建造年代を1914年とします。改修の起点と完成年の違いかどうかは確認できないため、1913年/1914年の両記録を明示します。[7][8][10]
中谷川水門:橋ではなく川の下をくぐるサイフォン
かつらぎ町中飯降の中谷川水門は、中谷川と小田井用水路を交差させる伏越(サイフォン)です。農水省の解説では1912年に煉瓦造へ改修され、両水門間13.3m・水路幅6.4mと記載されています。名前に水門が付いていますが、龍之渡井などの橋と同じ地上横断構造ではありません。[9]
2006年登録有形文化財と2017年世界かんがい施設遺産
龍之渡井・木積川渡井・小庭谷川渡井・中谷川水門の4施設は、2006年3月2日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。文化庁の木積川渡井台帳には登録告示日2006年3月23日も併記され、登録日とは異なる事務上の日付です。一方、用水路全体の歴史的価値については2017年10月10日に国際かんがい排水委員会(ICID)の世界かんがい施設遺産に登録されました。これはユネスコ世界遺産ではなく、国登録文化財の対象範囲とも異なります。[4][10][11][12]
約1,035haの歴史的開墾地と現在の受益面積は異なる
土地改良区の歴史解説では完成による新規開発が1,046町歩(約1,035ha)、近畿農政局と和歌山県議会は歴史的な新田開発を約1,000haと表現します。近年の受益面積については管理者の案内が約600ha、農水省の施設紹介が約610ha、2017年県議会会議録が567haと別の値を示しています。現況の年度・耕地範囲・算定方法が一致するか確認できないため、各値を出典付きで並記し2026年の確定受益面積と断定しません。[1][2][5][6][7]
現役の水利施設として維持管理し、周辺から歴史を学ぶ
農水省は小田井土地改良区が清掃・保全を担当し、小学生の校外学習や歴史表示の活動があると紹介します。管理者は橋本市高野口町の一部に「せせらぎ公園」が整備され、龍之渡井や頭首工への学習訪問もあると説明しています。ただし学校行事としての見学は常時一般公開を意味しません。川沿いの公開通路から観察できる部分と、頭首工・水門・水路内部の管理区域を分け、見学条件は管理者へ確認してください。[1][6][7][8]
Deep research
小田井土地改良区、近畿農政局、農林水産省、和歌山県・県議会、文化庁の一次資料を照合。1707年第一期着工と1710年全体完成、現役の通水系統と4件の登録有形文化財、歴史的開墾地と近年の受益面積を分離し、史料間の数値・改修年の差異も記録した。
最終確認:2026-11-04
施設データを詳しく見る
- 着工・完成
- 1707年着工・1710年完成
- 水路全長(県・管理者)
- 32.5km
- 水路全体の高低差
- 22m
- 渡井・伏越の紹介数
- 水路橋11か所/伏越10か所
- 歴史上の開墾面積
- 約1,035ha
- 受益面積(2017年県議会)
- 567ha
- 受益面積(別の資料)
- 管理者約600ha/農水省旧紹介約610ha
- 国登録有形文化財
- 2006年3月2日・4施設
- 世界かんがい施設遺産
- 2017年10月10日
- 木積川渡井の建設・改修記録
- 1913年/1914年
第一期約21kmは1年8か月で完成。全線完成とは区別
近畿農政局は概数33km。測定範囲の厳密な対応は不詳
近畿農政局の記載。平均勾配約1/1,500
土地改良区の施設解説。現存数の実測とは確認できない
管理者の1,046町歩の換算値。2017年受益面積ではない
当時の議会発言値。最新2026年実績ではない
公表時点・算定範囲差は未確定、2017年567haと併記
龍之渡井、木積川渡井、小庭谷川渡井、中谷川水門
ICID認定、ユネスコ世界遺産ではない
農水省は1913年改修、文化庁は1914年建造年代。理由未解明
水の流れ:紀の川・小田から岩出まで
- 1
紀の川の小田から取水
橋本市高野口町小田で紀の川本流の水を取る。1957年に改修した井堰が取水地点の節目。
- 2
高野口町の河岸段丘へ導水
河岸段丘の高い農地に水を届けるため、緩勾配で上流から自然流下させる。
- 3
中谷川を伏越で通過
かつらぎ町中飯降で川底をくぐる中谷川水門を通り、水路の高度を維持する。
- 4
小庭谷川渡井で堂田川を渡る
かつらぎ町笠田東の煉瓦造水路橋を通り、小河川の谷を横切る。
- 5
龍之渡井で穴伏川を渡る
かつらぎ町高田・紀の川市西野山の境にある橋長20.5mのアーチ水路橋を通る。
- 6
木積川渡井で木積川を渡る
紀の川市西三谷・岩出市東坂本の境で橋長6mの煉瓦アーチ橋を通る。
- 7
紀の川右岸の農地へ分水
沿線でかんがい用水として分配し、下流の岩出市方面まで水路が続く。個別支線の配分流量は不詳。
小田井用水路の年表:開削と近代化、文化財登録
先行する藤崎井用水が完成
同じ大畑才蔵が担当した紀の川右岸の別の用水。小田井用水とは取水地点・流路が異なる。
小田井用水の開削に着手
徳川吉宗の命を受け、大畑才蔵らが紀の川の小田から上流側の取水を計画。
第一期約21kmを完成
橋本市高野口町~紀の川市名手市場。全長32.5kmの完成とは別。
第二・第三期を経て用水路全体が完成
農水省のICID施設解説と2017年県議会資料による完成年。
小庭谷川渡井を煉瓦造へ改修
木造からアーチ型の恒久的な水路橋に変更。
中谷川水門を煉瓦造へ改修
川床下を横断する伏越施設を改修。
木積川渡井の改修・建造年に公式資料差
農水省は1913年改修、文化庁登録台帳は1914年建造年代。理由は未確認。
龍之渡井を煉瓦・石造のアーチ橋へ改修
木製掛樋から恒久構造に改修。
紀州大水害と復旧工事
災害復旧を契機として紀の川の取水施設が再編された。
紀の川の11堰を4頭首工へ統合
近畿農政局の事業記録。小田の井堰も管理者によれば1957年改修。
4つの水路橋・水門が国登録有形文化財に
龍之渡井、木積川渡井、小庭谷川渡井、中谷川水門。告示日3月23日とは別。
小田井用水路が世界かんがい施設遺産に登録
国際かんがい排水委員会(ICID)による認定。
見学・アクセス情報
線状の農業用水路なので単一の入口や常設開館時間はありません。生活道路として使われる龍之渡井や、橋本市の「せせらぎ公園」などの周辺を歩いて見られる場所と、稼働中の頭首工・水門・水路内部を分けて案内します。
- 沿線地域
- 和歌山県橋本市高野口町小田~かつらぎ町~紀の川市~岩出市。水路総延長32.5kmの線状施設
- 龍之渡井
- かつらぎ町高田と紀の川市西野山の境、穴伏川。農水省はJR西笠田駅から徒歩約10分、生活道としての利用を紹介
- 小庭谷川渡井
- かつらぎ町笠田東、堂田川。農水省の目安はJR笠田駅から徒歩約10分
- 中谷川水門
- かつらぎ町中飯降、中谷川の下をくぐるサイフォン。農水省の目安はJR笠田駅から徒歩約10分
- 木積川渡井
- 紀の川市西三谷・岩出市東坂本の境、木積川。農水省の目安はJR下井阪駅から徒歩約15分
- せせらぎ公園
- 橋本市高野口町の小田井用水の一区画。土地改良区が歩行者用の公園として紹介
- 管理者
- 小田井土地改良区(紀の川市粉河4620番地、0736-73-2173)。行事・見学可否は事前に確認
- 水路・頭首工への立入り
- 常時一般開放を保証する案内は確認できない。現地の立入制限に従い、水門操作施設や通水部分へ無断で入らない
見学目的でも門・柵・管理区域を越えず、管理者が案内する公開条件と指定経路に従ってください。
歴史的な新田開発、近年の受益面積、農業用水の水質
1,046町歩(約1,035ha)は小田井土地改良区が示す江戸期の新規開墾地であり、現在の受益面積ではありません。2017年の和歌山県議会会議録では567ha、管理者の施設解説では約600ha、農水省の登録有形文化財紹介では約610haと公表値が異なります。年次や対象の統一条件が明確でないため、2026年現在の確定値としていずれかを採用せず併記します。建設期の「3~5kmで標高差1m」と近畿農政局の全体「標高差22m・約1/1,500」の勾配説明も区別します。農業かんがい水路であり、飲料水の消毒方法・浄水施設能力や水道水質検査値をこの水路単独に帰属させる公式公開資料は確認できません。[1][2][5][6][7]
よくある質問
小田井用水路は何と読みますか?
「おだいようすいろ」です。紀の川右岸の河岸段丘に農業用水を送る水路です。
小田井用水路はいつ造られましたか?
1707年に着工し、第一期約21kmを1年8か月で完成、第二・第三期を経て1710年に全体が完成しました。
誰が造ったのですか?
紀州藩主・徳川吉宗の命を受け、大畑才蔵が開削工事を担当しました。井澤弥惣兵衛も計画に関わりました。
どの川から取水しますか?
紀の川本流です。管理者は現在の橋本市高野口町小田を取水地点と説明しています。
用水路はどこまで続き、何kmありますか?
橋本市からかつらぎ町・紀の川市を通り岩出市まで続きます。県・管理者は32.5km、近畿農政局は約33kmと記しています。
渡井と伏越の違いは何ですか?
渡井は川の上に架ける水路橋、伏越は川の下を通すサイフォンです。龍之渡井は前者、中谷川水門は後者です。
現在は何haの田に水を送っていますか?
資料に2017年567ha、土地改良区の案内約600ha、農水省の旧紹介約610haという差があります。2026年現在の統一した確定面積は確認できません。
木積川渡井は1913年と1914年のどちらに完成しましたか?
農水省は1913年に煉瓦造へ「改修」とし、文化庁の建造年代は1914年です。差の理由が確認できないため両資料を併記しています。
国登録有形文化財や世界遺産になっていますか?
龍之渡井など4施設が2006年3月2日に国登録有形文化財へ登録され、水路全体は2017年10月10日にICID世界かんがい施設遺産に登録されました。ユネスコ世界遺産とは異なります。
自由に見学できますか?
龍之渡井は生活道としての利用が公式に紹介されていますが、頭首工や水門の内部が一般開放されるわけではありません。見学・立入条件は小田井土地改良区に事前確認してください。
小田井用水路を理解するための要点
本ページでは、小田井用水路を和歌山県・橋本市・かつらぎ町・紀の川市・岩出市の疏水施設として記録しています。以下は掲載資料から確認できる基本情報です。
- 記録上の所在地
- 和歌山県橋本市高野口町小田の取水地点から、かつらぎ町・紀の川市を経て岩出市に至る紀の川右岸の線状水路
- 施設種別
- 疏水施設
- 年代・供用状況
- 宝永4年(1707年)着工、1710年完成。第一期約21kmは着工後1年8か月で完成
- 構造・形式
- 紀の川右岸河岸段丘の農業用水路。谷川との立体交差に渡井(水路橋)・伏越(サイフォン)を使用。管理者の紹介には渡井11か所・伏越10か所と記載
- 能力・規模
- 延長32.5km(和歌山県・土地改良区)、約33km(近畿農政局の概数)。標高差22m・平均勾配約1/1,500(近畿農政局)。受益面積は2017年県議会567ha/管理者約600ha/農水省旧紹介約610haと資料差あり
- 文化財等
- 2017年10月10日に小田井用水路がICID世界かんがい施設遺産に登録。龍之渡井・木積川渡井・小庭谷川渡井・中谷川水門の4施設は2006年3月2日に国登録有形文化財へ登録
施設の機能と地域での役割
水路・隧道・水路橋などは、水を運ぶ経路や関連設備です。用途は施設によって異なるため、上水道だけに限定せず、送水先や地域での役割を本文で確認してください。 この一般的な役割と、上記の調査本文に記載したこの施設固有の歴史・構造を分けてご覧ください。
見学・現地確認について
掲載上の見学情報は「龍之渡井は農林水産省が生活道としての利用を紹介。せせらぎ公園や渡井の周辺公開空間から観察できる区間がある。稼働中の頭首工・水門・用水路内部の自由立入案内は確認できない」です。公開日、受付方法、見学可能範囲は変更されることがあります。訪問前に管理者や自治体の最新案内を確認し、現地では指定された見学経路に従ってください。
掲載内容はページ末尾の出典・参考資料12件を基に整理しています。資料間で表記が異なる場合は、自治体・管理者の案内を優先してください。
所在地マップ
和歌山県橋本市高野口町小田の取水地点から、かつらぎ町・紀の川市を経て岩出市に至る紀の川右岸の線状水路
地図を読み込むとGoogle マップへ通信します。
地図は公開住所をもとに検索表示しています。施設の管理区域には立ち入らないでください。
地図検索:公開住所による地図検索 ↗関連タグ
出典・参考資料
- 1小田井土地改良区「小田井用水について」(1707年開削、32.5km、歴史上の新田面積、渡井・伏越、1957年井堰改修、管理と散策)↗本文に戻る ↑
- 2近畿農政局「和歌山平野の歴史」(33km・標高差22m・勾配約1/1,500、紀の川右岸の4市町と水利再編)↗本文に戻る ↑
- 3農林水産省「世界かんがい施設遺産 小田井用水路」(1710年完成・渡井と伏越・紀州流)↗本文に戻る ↑
- 4和歌山県「知事からのメッセージ 平成29年11月」(2017年10月10日のICID登録・32.5km・1707年第一期工事)↗本文に戻る ↑
- 5和歌山県議会「平成29年12月定例会会議録 第2号」(2017年時点567ha、歴史上約1,000ha、1710年完成)↗本文に戻る ↑
- 6農林水産省「小田井灌漑用水路龍之渡井」(1919年改修、橋長20.5m、生活道としての利用)↗本文に戻る ↑
- 7農林水産省「小田井灌漑用水路木積川渡井」(1913年改修との記載、橋長6m、約610haの旧紹介)↗本文に戻る ↑
- 8農林水産省「小田井灌漑用水路小庭谷川渡井」(1909年改修、橋長9.3m、笠田駅アクセス)↗本文に戻る ↑
- 9農林水産省「小田井灌漑用水路中谷川水門」(1912年改修、川底をくぐるサイフォン)↗本文に戻る ↑
- 10文化庁「国指定文化財等データベース 小田井灌漑用水路木積川渡井」(1914年建造表記、2006年3月2日登録・3月23日告示)↗本文に戻る ↑
- 11和歌山県教育委員会「わかやまの文化財 小田井灌漑用水路 龍之渡井」(構造、所有者、2006年3月2日登録)↗本文に戻る ↑
- 12小田井土地改良区「世界かんがい施設遺産」(ICIDの制度、ユネスコ世界遺産との区別)↗本文に戻る ↑
年代・出典の扱いと現役施設を確認するときの注意はアーカイブの読み方・見学ガイドにまとめています。