見沼溜井の代わりに造られた農業用水路
見沼代用水は、埼玉県東部を通る農業用水路です。現在のさいたま市周辺にあった見沼は、江戸時代初期の1629(寛永6)年に八丁堤を築いて「見沼溜井」として利用されました。江戸時代中期、八代将軍徳川吉宗が米の増産と新田開発を進めるなかで溜井の干拓が計画され、代わりに利根川から農地へ水を供給する水路が必要になりました。「見沼に代わる用水」が見沼代用水の名の由来です。浄水場や生活排水を処理する施設ではありません。[1][3][5]
1727年9月着工、1728年2月完成
埼玉県の施設資料は、紀州から招かれた井澤弥惣兵衛為永が1727(享保12)年9月に工事に着手し、1728(享保13)年2月に完成させたと記します。県の2026年歴史解説では、非かんがい期のおよそ半年に大規模な工事が進められたこと、紀州流の用排分離や水盛器による勾配測量を紹介しています。完成に伴い見沼溜井は約1,200haの水田へ転換されました。この約1,200haは旧溜井跡の開田面積であり、現在の全受益農地面積ではありません。[1][4][5]
約80kmと約60kmを混同しない
埼玉県の世界かんがい施設遺産紹介と2026年歴史解説は「幹線延長約80km」としています。一方、農林水産省の施設解説と埼玉県の別の公式施設資料では「総延長約60km」と記載されています。公式資料同士で数値と指標名に差があり、範囲や測定基準を確定できないため、80kmを現在の厳密な全長、60kmを過去の確定長と決め付けず、出典ごとに両方を残します。[1][3][4][10]
利根大堰から星川を経て八間堰へ
江戸時代の取水口「元圦」に代わり、現在の取水は利根川に設けられた利根大堰が担います。県の2026年案内によると、取水後約3kmで見沼代用水は一級河川・星川に合流し、さらに約16km下った久喜市菖蒲町で再び分かれます。分岐点では用水路側の八間堰と星川側の十六間堰によって流量を調整します。星川との共用部分は河川でもあるため、用水路専用の閉渠と説明しません。[1][6][9]
柴山伏越、瓦葺掛樋井跡、東西縁への分岐
白岡市の柴山伏越は、見沼代用水が元荒川の下をくぐる立体交差です。県は利根川から見沼田んぼまでに伏越が53基あると説明し、このうち柴山伏越では幅約120mの元荒川を下から横断します。上尾市と蓮田市の境界付近では、かつて瓦葺掛樋井が綾瀬川の上に架けられ、1961年の水路改変で撤去・伏越化されました。現在残る橋脚遺構と現役の伏越を別々に扱います。その先、見沼の台地に沿って東縁・西縁に分かれ、沿線の農地へ配水します。[1][2][4]
農業用水に加えて、水道用水にも関係する現行施設
水資源機構は現在の見沼代用水路について、埼玉県内約11,300haの水田に最大約37.4m³/秒の農業用水を送るとともに、埼玉県と東京都へ最大約2.5m³/秒の水道用水を送ると説明します。別の機構紹介は農地約11,340haと記載しており、約11,300haは丸めた表現として扱えます。これらは水路の用途別最大送水量と受益面積であって、利根大堰全体の最大約134m³/秒や日々の取水実績とは異なります。水道用水の利用は埼玉合口二期事業の水利用合理化によるもので、農業水路の水をそのまま飲めるという意味ではありません。[3][6][7]
利根導水路と埼玉合口二期事業による更新
水資源機構の事業史では1962~1967年度の利根導水路建設事業で利根大堰と合口連絡水路などを整備し、1968年3月に全施設が完成したと説明します。続く1978~1994年度の埼玉合口二期事業では、老朽化や水路底の洗掘・地盤沈下、農地の宅地化に伴う水需要の変化に対応して見沼代用水路を改築しました。県の公式施設資料は、その合理化で生じた水を埼玉県・東京都の水道用水に振り向けたと記載しています。旧元圦と現在の利根大堰を同一年代の構造物として扱いません。[4][7]
見沼通船堀は1731年に造られた別の歴史的施設
1731(享保16)年、東縁・西縁の用水路と、その間を流れる芝川を結ぶ見沼通船堀が開かれました。埼玉県による延長は約1,040mで、用水路より約3m低い芝川との間を閘門で船が移動できる仕組みです。通船堀は国指定史跡ですが、その1,040mや文化財指定を見沼代用水全線の延長・指定範囲と取り違えません。県の資料によれば舟運は1931年に停止しました。[1][4]
世界かんがい施設遺産と現在の維持管理
見沼代用水は2006年に農林水産省の「疏水百選」に選ばれ、2019年9月4日に世界かんがい施設遺産へ登録されました。現在の管理には水資源機構と見沼代用水土地改良区が関わり、関係自治体とも連携しています。機構は水位調節堰を遠方監視制御システムで管理すると案内しており、また利根大堰や埼玉合口二期施設などを対象に耐震対策を進め、2024年3月に完工式典を行ったと記します。全線・全構造物の一律耐震化完了とは断定しません。[3][6][7][8][9]
水質の意味と散策時の注意
水資源機構の「取水量・水質データ」は利根大堰での水質、各水路の取水量を別々に公表します。利根大堰の測定値を見沼代用水の全区間の飲料水質とみなすことはできません。見学については、行田市の見沼元圦公園、さいたま市の見沼通船堀公園や沿道の緑のヘルシーロード等が公式に紹介されていますが、取水堰・管理水路の内部は見学場所ではありません。施設・土地の使用には別途申請が必要と明記されており、一般の公開公園と管理用地を区別して訪問してください。[2][8][9][10][11]
Deep research
1728年に完成した農業用の歴史的水路。現在の利根大堰による取水、星川共用区間、伏越・東西縁の構造と、埼玉合口二期事業による水道用水への利用を時代・用途・送水量別に示します。
最終確認:2026-11-04
施設データを詳しく見る
- 完成
- 1728年2月
- 開削責任者
- 井澤弥惣兵衛為永
- 幹線延長
- 約80km/別資料は約60km
- 現在の取水元
- 利根川・利根大堰
- 農業用最大送水量
- 約37.4m³/秒
- 水道用最大送水量
- 約2.5m³/秒
- 農業受益面積
- 約11,300ha
- 星川との共用区間
- 合流まで約3km+共用約16km
- 見沼通船堀
- 1731年・約1,040m
- 世界かんがい施設遺産
- 2019年9月4日
1727年9月着工。埼玉県の施設資料
八代将軍徳川吉宗の命で整備
埼玉県の2026年解説と農林水産省資料で異なる。測定範囲を特定できない
行田市。旧元圦は現在の取水口ではない
見沼代用水路の値。機構の施設マップ
見沼代用水路の値。農業用と用途を区別する
水資源機構は別の箇所で約11,340haとも表記
埼玉県2026年解説。流路の一部分の距離
水路本体とは別の閘門式運河、国指定史跡
文化財としての国宝指定とは異なる制度
水の流れ:利根大堰から見沼の東西縁へ
- 1
利根川・利根大堰で取水
現在の河川取水は行田市の利根大堰が担う。旧元圦は歴史的な取水地点。
- 2
合口連絡水路から見沼代用水路へ
利根大堰の水は複数系統に分配され、見沼代用水路への農業用・水道用の取水は別用途として管理される。
- 3
星川へ合流して共用区間を流れる
取水地点から約3km下流で星川と合流し、さらに約16km星川の区間を利用する。
- 4
八間堰で見沼代用水へ分水
久喜市菖蒲町の八間堰が代用水側、十六間堰が星川側で、分水量の調整に関わる。
- 5
柴山伏越で元荒川の下を横断
白岡市柴山の伏越で元荒川と立体交差。水が川の下を通るため、川を直接横切る橋とは異なる。
- 6
瓦葺伏越を経て東縁・西縁に分かれる
上尾市・蓮田市付近で綾瀬川を伏越で通過したのち、台地に沿う東縁と西縁へ配水する。
- 7
農地のかんがい・水道用水に利用
沿線の農地へ水を供給し、埼玉合口二期による合理化分は埼玉県・東京都の水道原水としても活用される。水路内で飲料水の浄水処理を行うわけではない。
見沼代用水の開削・改修・登録
八丁堤と見沼溜井
伊奈忠治が見沼をせき止め、灌漑用の溜井を設けた。後に干拓される。
井澤弥惣兵衛為永の指揮で着工
見沼溜井を干拓する代替水源として利根川からの用水開削を開始。
見沼代用水が完成
溜井に代わる農業用水が開通し、見沼田んぼの新田開発が進む。
見沼通船堀が開通
東縁・西縁と芝川を閘門でつなぎ、舟運に用いた。用水路全線の開通日ではない。
見沼通船堀の舟運が停止
埼玉県の施設資料では他の交通機関の発達に伴う停止と記載。用水路の廃止ではない。
瓦葺掛樋井から伏越へ
綾瀬川を越える旧掛樋井を撤去し、河川の下を通る構造に変更。橋脚遺構が残る。
利根導水路の施設完成
利根大堰などを新設して複数用水の取水を統合。水資源機構の事業史に基づく。
見沼元圦公園を整備
旧元圦の歴史を伝える公園が行田市に整備された。
埼玉合口二期事業で改修
水路の老朽化と利用変化に対応し、農業用水を合理化して水道用水への利用を進める。
疏水百選に選定
農林水産省の疏水百選。国指定文化財と同じ制度ではない。
世界かんがい施設遺産に登録
埼玉県内初の登録と県が紹介。
利根導水路大規模地震対策の完工式典
見沼代用水路を含む埼玉合口二期施設が事業対象。全線の一律耐震化と同義ではない。
見学・アクセス情報
見沼代用水は長い水路で、全線を一つの公開施設として扱えません。公園や公式に紹介される遊歩道から見学し、堰・管理用地への立入は許可を得る必要があります。
- 起点・利根大堰
- 埼玉県行田市大字須加字船川4369。水路全体の単一住所ではない
- 見沼元圦公園
- 行田市。旧取水口付近、1977年整備。公開公園側から歴史を学べる
- 八間堰・十六間堰
- 埼玉県久喜市菖蒲町菖蒲65付近。現地の交通・立入規制を確認
- 柴山伏越
- 埼玉県白岡市柴山1103・常福寺付近
- 瓦葺掛樋井の遺構
- 埼玉県上尾市瓦葺374付近。旧掛樋井は撤去、橋脚部が保存
- 見沼通船堀公園
- さいたま市緑区大字大間木1506。JR東浦和駅から徒歩約4分と県が案内
- 沿道の散策路
- 緑のヘルシーロード・水と緑のふれあいロードなど、公開区間のみ
- 用水路・管理施設
- 管理用地への一般自由立入案内なし。使用には見沼代用水土地改良区への申請が必要
見学目的でも門・柵・管理区域を越えず、管理者が案内する公開条件と指定経路に従ってください。
利根大堰の水質測定と見沼代用水路の用途
水資源機構は利根大堰の水質観測と見沼代用水路の取水量を別々に掲載しています。堰の測定値は全線各地点の水質値ではなく、農業用の開水路水をそのまま飲料水として扱うこともできません。最大約37.4m³/秒の農業用送水量と最大約2.5m³/秒の水道用送水量は設計上の用途別上限であり、日別実績や水質検査値とは異なります。[6][11]
よくある質問
見沼代用水はどこにありますか?
現在は埼玉県行田市の利根大堰から取水し、久喜市・白岡市・上尾市・さいたま市など県東部へ伸びています。一本の建物ではありません。
見沼代用水はいつ、誰が造りましたか?
八代将軍徳川吉宗の命を受けた井澤弥惣兵衛為永が1727年9月に着工し、1728年2月に完成させました。
「代用水」とはどういう意味ですか?
干拓して水田に転換した「見沼溜井」に代わり、利根川から農業用水を引く水路という意味です。
見沼代用水の全長は60kmですか、80kmですか?
埼玉県の世界かんがい施設遺産紹介は幹線延長約80km、農林水産省の施設解説と別の県施設資料は約60kmと表記します。対象範囲の違いを特定できないため両方を併記しています。
見沼代用水は農業用水専用ですか?
歴史的には農業用水路ですが、埼玉合口二期事業による合理化後は水道用水にも関係します。機構は最大農業用約37.4m³/秒、水道用約2.5m³/秒を説明します。
どこから水を取っていますか?
現在の取水元は利根川の利根大堰です。江戸時代の旧元圦と、現在の取水施設を区別します。
八間堰と十六間堰は何をする施設ですか?
星川との共用区間の終点付近で、八間堰が代用水側、十六間堰が星川側の水量を調整するために設けられています。
柴山伏越とは何ですか?
白岡市柴山で元荒川の下に用水路を通し、二つの流れを立体交差させる設備です。
見沼通船堀も見沼代用水ですか?
見沼代用水の東西縁と芝川を結ぶ1731年開通の関連運河です。約1,040mの長さと国指定史跡は通船堀の情報であり、用水路全体のものではありません。
見沼代用水を見学できますか?
見沼元圦公園、見沼通船堀公園や公開散策路から見学できます。ただし堰・管理用地内への自由立入はできるとは限らず、現地案内に従ってください。
見沼代用水を理解するための要点
本ページでは、見沼代用水を埼玉県・行田市・久喜市・白岡市・上尾市・さいたま市ほかの疏水施設として記録しています。以下は掲載資料から確認できる基本情報です。
- 記録上の所在地
- 埼玉県行田市大字須加字船川4369(現・利根大堰の所在地。水路は県東部に広がる線状施設)
- 施設種別
- 疏水施設
- 年代・供用状況
- 1727年(享保12年)9月着工、1728年(享保13年)2月完成。以後、施設を順次更新
- 構造・形式
- 利根大堰からの取水、基幹線・東縁・西縁などの用水路、星川共用区間、八間堰、柴山伏越、瓦葺伏越ほか
- 能力・規模
- 水資源機構の説明:見沼代用水路の最大送水量は農業用水約37.4m³/秒、水道用水約2.5m³/秒。現行の実流量ではない
- 文化財等
- 2019年9月4日「世界かんがい施設遺産」登録、2006年「疏水百選」選定。見沼通船堀は別途国指定史跡
施設の機能と地域での役割
水路・隧道・水路橋などは、水を運ぶ経路や関連設備です。用途は施設によって異なるため、上水道だけに限定せず、送水先や地域での役割を本文で確認してください。 この一般的な役割と、上記の調査本文に記載したこの施設固有の歴史・構造を分けてご覧ください。
見学・現地確認について
掲載上の見学情報は「見沼元圦公園、見沼通船堀公園など公園・公開散策路を見学可能。通水路・堰・管理施設の自由立入は認められず、道路の公開範囲も地点ごとに確認」です。公開日、受付方法、見学可能範囲は変更されることがあります。訪問前に管理者や自治体の最新案内を確認し、現地では指定された見学経路に従ってください。
掲載内容はページ末尾の出典・参考資料11件を基に整理しています。資料間で表記が異なる場合は、自治体・管理者の案内を優先してください。
所在地マップ
埼玉県行田市大字須加字船川4369(現・利根大堰の所在地。水路は県東部に広がる線状施設)
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地図は公開住所をもとに検索表示しています。施設の管理区域には立ち入らないでください。
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出典・参考資料
- 1埼玉県農村整備課「見沼代用水の歴史を知る」(2026年9月、成り立ち・流路・堰・伏越・通船堀・アクセス)↗本文に戻る ↑
- 2埼玉県農村整備課「見沼代用水を巡る」(柴山伏越・瓦葺掛樋井跡・公園・見沼通船堀)↗本文に戻る ↑
- 3埼玉県「世界かんがい施設遺産について」(2019年9月4日登録、幹線延長約80km、農地1万ha以上)↗本文に戻る ↑
- 4埼玉県「見沼代用水」公式施設資料PDF(1727年着工・1728年完成、約60km、改修史)↗本文に戻る ↑
- 5埼玉県「見沼田圃の位置及び現状、歴史」(1629年の八丁堤・1728年の干拓)↗本文に戻る ↑
- 6水資源機構利根導水総合管理所「施設マップ」(利根大堰・見沼代用水の最大計画送水量、受益面積、遠方監視)↗本文に戻る ↑
- 7水資源機構利根導水総合管理所「事業のあゆみ」(利根導水路、埼玉合口二期、大規模地震対策)↗本文に戻る ↑
- 8水資源機構利根導水総合管理所「地域ガイド」(見沼元圦公園、1977年整備、2006年疏水百選)↗本文に戻る ↑
- 9水資源機構利根導水総合管理所「使用承認等申請」(土地改良区の所有と施設への立入・使用手続き)↗本文に戻る ↑
- 10農林水産省「18世紀から・見沼代用水の恵みは永遠に」(歴史と約60kmの表記、沿道の環境整備)↗本文に戻る ↑
- 11水資源機構利根導水総合管理所「取水量・水質データ」(利根大堰の水質と各水路の時間別取水実績を区分)↗本文に戻る ↑
年代・出典の扱いと現役施設を確認するときの注意はアーカイブの読み方・見学ガイドにまとめています。