建設の背景
沖縄の近代水道は1914年(大正3年)に那覇市で初めて整備された。日本本土の主要都市に比べ約20年の遅れをとった沖縄の上水道は、大正末から昭和初期にかけて急速に拡充が進められた。首里は旧琉球王国の王都であり、標高約120メートルの台地上に位置する。この高低差から、配水圧の維持が恒常的な課題となっており、昭和4年(1929年)から専用配水塔の建設計画が本格化した。昭和7年(1932年)に竣工した本塔は、首里配水区域の約5,000人への安定給水を担い、沖縄の上水道普及史における重要な節点となった。
建築的特徴
塔体はRC造の円筒形で、外壁には縦方向の補強リブが均等間隔で設けられている。台風の多い沖縄の気候条件を強く意識した設計となっており、窓開口を最小限に抑えた堅牢な造形が際立っている。塔頂部は平坦なコンクリートスラブで覆われており、金属製の通気口が当初より設置されていた。基礎はコンクリート地中梁式で、地盤の石灰岩層への定着が図られている。設計図面の一部は那覇市公文書館に保管されており、竣工時の仕様を確認できる。
沖縄戦と戦後の経緯
1945年(昭和20年)の沖縄戦では、首里城を中心とする首里地区が激戦地となった。周辺の建造物の多くが壊滅したが、本塔はRC造の堅牢な構造が奏功し、塔体が比較的良好な状態で残存した。米軍統治期(1945〜1972年)において、琉球政府水道局が給水網の復旧・再建を進める際、本塔は接収・改修のうえ再稼働した。1960年代には現役稼働から外れたが、歴史的価値から撤去されずに保存された。
現況と意義
現在は那覇市上下水道局の管理のもと外観保存されている。首里城周辺の歴史的文化環境の中に立地し、琉球王府期の石造文化遺産群とは異なる近代工業技術の証として位置づけられている。案内板が設置されており、外周からの見学が可能。戦前期沖縄上水道の実物資料として、今後の保存・活用が期待されている。
出典・参考資料
- 1那覇市史編集委員会『那覇市史 近代編』(2005年)
- 2沖縄県企業局『沖縄の水道100年史』(2013年)
- 3那覇市上下水道局『那覇の水道80年史』(2000年)
- 4日本水道協会「近代水道遺産データベース」↗
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