建設の背景
石垣島は沖縄本島から西南約410キロに位置する離島で、八重山列島の中心都市である。石垣島の近代水道整備は本土・沖縄本島に比べて著しく遅れており、1950〜60年代を通じて整備が進められた。昭和46年(1971年)に建設された登野城高架水槽は、石垣市の中心市街地・登野城地区への配水安定化を目的とした施設で、本土復帰(1972年)の直前に竣工した最後期の琉球政府期水道施設のひとつである。
施設の構造と特徴
鋼製円筒タンクを高架架台で支持する形式で、石垣島では当時主流であった鋼製タンク型を採用した。塔高は約10メートルで、貯水容量は150立方メートル程度。登野城は石垣港に近い市街地中心部であり、台風の塩分飛来や高湿度環境による腐食が著しく、防錆塗装の更新が頻繁に必要な施設であった。施工は本土から派遣された鉄骨専門業者と地場業者の協力で行われたとされる。
老朽化と撤去
1980〜90年代にかけて台風被害と塩害腐食の進行が深刻化し、たびたびの補修を経たものの、耐震基準の見直し(2000年代)に伴う構造評価で存続困難と判定された。2018年(平成30年)に本体(鋼製タンクおよび架台)が撤去され、コンクリート基礎部分のみが現地に残された。撤去前に石垣市教育委員会が実測調査と写真記録を実施しており、報告書が市史編さん資料として保存されている。
現況と記録の意義
現在は基礎部分のみが保存公開されている。残存基礎は離島の高架水槽が担った給水インフラの物的証拠として、見学・教育利用が可能な状態に整備されている。石垣市の近代水道整備史を示す資料として、市民向け展示でも活用されている。
出典・参考資料
- 1沖縄県企業局『沖縄の水道100年史』(2013年)
- 2石垣市教育委員会「登野城高架水槽実測調査報告書」(2017年)
- 3石垣市史編集委員会『石垣市史』(2004年)
- 4日本水道協会「近代水道遺産データベース」↗
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