建設の背景
大分市は1960〜70年代の新産業都市指定(1964年)を受け、臨海部の鉄鋼・石油化学コンビナートの集積と並行して市北部の住宅地開発が急速に進んだ。1966年(昭和41年)、新興住宅地への安定配水を確保するため、大分市水道局が鋼製高架水槽を建設した。高度経済成長期の大分市において、住宅地と工業地帯の同時拡大という特異な都市膨張を支えたインフラ投資の一翼を担った施設である。
建築的特徴
鋼製円筒タンクを格子状の鋼製架台で支持する高架水槽形式で、貯水容量は約300立方メートルと記録されている。昭和40年代に全国で標準化された高架水槽の設計仕様に準じた構造で、架台の接合部はボルト締め工法が採用されていた。大分臨海部の塩分飛来を考慮した防錆塗装仕様が設定されており、定期的な塗装更新が管理記録に残されている。
老朽化と解体
1990〜2000年代にかけての耐震診断において、架台溶接部・ボルト接合部の疲労と腐食が課題として浮上した。配水系統の統廃合計画と並行して廃止が決定し、2011年(平成23年)に本体・架台ともに撤去解体された。解体前の記録調査は大分市水道局が実施し、資料は市水道史資料として保管されている。
大分市の水道と高度成長期
大分市の水道は高度成長期に急拡大した都市規模への対応に追われた時期であり、本高架水槽はその一時代を象徴する施設であった。大分港周辺の工業水道と市民生活水道の両立という行政課題が、当時の水道投資を規定した構造的背景として理解される必要がある。
出典・参考資料
- 1大分市水道局『大分市水道史』(1991年)
- 2大分県『大分県水道史』(1992年)
- 3日本水道協会「近代水道遺産データベース」↗
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