建設の背景
谷山地区は鹿児島市の南方郊外に位置し、昭和10年代に住宅地化が進んだ地域である。鹿児島市水道部は昭和13年(1938年)に市街地南部への配水強化を図るため、谷山地区に給水塔を建設した。当時は日中戦争の影響で資材が逼迫していたが、都市部の給水整備は優先的に進められ、RC造の標準設計が採用された。鹿児島市の近代水道は大正3年(1914年)に開始されており、本塔はその拡張期の主要施設にあたる。
建築的特徴
RC造の円筒形塔体で、高さ約14メートル、貯水容量約180立方メートル。外壁には縦方向の補強リブが等間隔で配置されており、塔頂部は平坦なコンクリートスラブで構成されている。窓開口は小さく実用的な設計で、当時の鹿児島市標準給水塔仕様に基づいて施工されたとみられる。桜島の降灰を想定した外壁コンクリートの高密度化が施工仕様に含まれていた記録がある。
戦中・戦後の存続
太平洋戦争中の空襲では鹿児島市中心部に大きな被害が出たが、谷山地区は比較的被害が少なく、本塔は戦後も給水施設として機能した。1960〜70年代の郊外化でさらに周辺の住宅密度が高まり、塔体は系統見直しで1980年代に現役を退いた。
現況
道路沿いから塔体の外観を確認できる状態で保存されている。鹿児島市の戦前期郊外給水計画と都市拡張史を示す実物資料として、市内に現存する数少ない戦前期給水塔のひとつである。
出典・参考資料
- 1鹿児島市水道局『鹿児島市水道史』(1998年)
- 2鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第五巻』(2015年)
- 3日本水道協会「近代水道遺産データベース」↗
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