建設の背景
旧鹿屋海軍航空隊(鹿屋航空廠)は、昭和初期から太平洋戦争期にかけて大隅半島の軍事拠点として機能した施設である。航空廠内の工員・将兵への安定給水と、航空機整備用の工業用水確保を目的として、昭和19年(1944年)に本高架水槽が建設された。鹿屋は神風特別攻撃隊の出撃基地としても知られており、本施設はそうした戦時インフラの一部を構成していた。
施設の構造と戦時期の特徴
鋼製円筒タンクをコンクリート架台で支持する形式で、容量は約150立方メートル。戦時体制下の建設であることから、資材の制約の中で最小限の設計が施されている。架台コンクリートの配合記録は現存しないが、同時期の海軍施設の標準仕様から推定される設計諸元が市史に記録されている。
戦後の転用と老朽化
終戦後、施設は海上自衛隊鹿屋航空基地として再整備され、本高架水槽も戦後の給水施設として引き続き使用された。しかし鋼製タンクの腐食が1980年代に深刻化し、補修費用の観点から代替施設への切り替えが決定。1998年(平成10年)に本体および架台が撤去された。
記録と歴史的意義
撤去前に鹿屋市史編さん委員会と海上自衛隊鹿屋航空基地史料館が共同で写真測量と聞き取り調査を実施し、その記録が市史資料として保存されている。軍事施設の給水インフラが戦後に民用転用された事例として、軍事史・水道史の両面から参照される。「海上自衛隊鹿屋航空基地史料館」では関連する戦時インフラの展示が行われており、写真資料を閲覧することができる。
出典・参考資料
- 1鹿屋市史編さん委員会『鹿屋市史 近現代編』(2009年)
- 2海上自衛隊鹿屋航空基地史料館収蔵資料(施設台帳)
- 3日本水道協会「近代水道遺産データベース」↗
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